医師の国際貢献   (院長)

 

猛暑が続いていますが、今回は熱い心をもって海外で活躍してきた二人の医師に関して記載します。一人目は比較的身近な方で山元香代子医師(ザンビア)、二人目は国際的にも有名な中村 哲医師(故人。パキスタン、アフガニスタン)です。

 

山元香代子医師

自治医科大学の卒業(3期生、宮崎県出身)で、私の2年先輩です。僻地勤務を含む15年間日本で地域医療に従事しました。専門は小児科です。山元医師は、WHOの医務官などを経て2011年よりザンビアの辺地の人たちのために、「巡回診療」をスタートしました。

活動する場所は、都市部から車で5時間以上移動したところにある「へき地」で、かやぶき屋根の家が並び、近くに学校や病院はなく、電気や水道もない地域です。診察や薬の処方をはじめ全てを無料で行っており、山元医師は無給です。薬代や人件費などの活動資金は、山元医師自身が定期的に日本に帰国して非常勤医師として働いて捻出しているとのことです。

その後、2012年に特定非営利活動法人“ザンビアの辺地医療を支援する会(ORMZ)” ができ、支援が集まるようになりました。日常診療に加えて、マラリヤの予防と治療にも力を入れており、死亡者数の激減が得られています。その他にも現地スタッフの教育(コミュニティヘルスワーカーの養成)、井戸の設置による飲料水の確保、トイレの新設、深井戸の掘削などを行っています(資料1)

 

 

中村 哲医師

1946年福岡市出身。九州大学医学部卒業。1984年アフガニスタンとの国境に近いパキスタン北西部辺境州のペシャワールに赴任し、主に貧困層の診療にあたってきました。1986年からアフガン難民のための診療を開始し、無医地区山岳部に3つの診療所を設立しました。地球温暖化に関連した大干ばつが中央アジア、特にアフガンを襲ったため、2000年からは水源確保(井戸掘り)事業を行いました。さらに2002年からはアフガン東部で長期的復興計画“緑の大地プロジェクト”として、用水路建設に着手しました。2003年には、アジアのノーベル賞といわれる“マグサイサイ賞”を受賞しました(資料2)。

しかし、2019年12月4日、車での移動中に銃撃され他界されました。アフガニスタンで行われた中村哲医師の追悼式では、ガニ大統領が軍兵士らと並んでアフガン国旗に覆われた中村さんの棺を担いでいました。多くの功績を残し、最大級の敬意を受けた医師でした。

 

二人の活動から思うこと

まず、活動の動機に関して考えてみました。二人とも当初は海外医療関連団体の求めにより赴任されており、海外での活動は考えておられたようです。実際に赴任してみると、日本ではありえない現実があったようです。具体的には、下痢で多くの子供がなくなり、干ばつで餓死する人達がいる。このような「命の不平等」に直面して、そこを去ることなく手を差し伸べてきたのだと思います。いわゆる信念や哲学ではなく、“目の前の困っている人達を見捨てることができない”という純粋な思い、“優しさ”が活動継続の根源ではないかと感じています。

「一隅を照らす」という言葉があります。これは、世界中を豊かにするとか、全人類を救うだとか、いうことではなくて、一隅、自分の身の回りから照らすということです。つまり、自分が今いる場所や立場で自分のできる精一杯のことをすることだと思います。日本国内でも、もちろん医療以外の分野でも様々な活動をされている多くの方々がいます。マスコミで報道されることはほんの一部ですが、そんなことは関係なく、自分の周りの人達のために日々働いているのです。私も「一隅を照らす」ことができるよう努力したいと思っています。

 

資料

 

2023年8月27日

石川 進