お祝いの品

前任地での話です。
痰の結核菌検査で人違いが起きました。許されることではありません。結核菌を排出している患者が放置され、そうでない患者が結核治療を受けることになるからです。幸い、担当医が不自然な結果にすぐ気づき、再検査をしました。その結果、検体の取り違いが判明しました。

なぜそうなったのか。検証が始まりました。
採痰から容器への収納、委託業者による外注先への搬送まで、ひとつひとつ検証していきました。
「院内は問題ない・・・」。
検体検査の責任者であるSさんは呟きました。
Sさんは女性の臨床検査技師で当時、臨床検査技術科長と医療技術部長とを兼務していました。
彼女の発案で外注先の検査現場を視察することになりました。

電車を2時間半乗り継ぎ、ある地方都市の郊外に着きました。建物に入ると人はほとんどおらず、検体を運ぶロボットが粛々と動いていました。検体は自動的に仕分けられていました。細菌検査室だけ人が配置され手作業で検体を扱っていました。
「人違いはここで起きたのではないでしょうか。IDと患者名のシールが蓋にだけ貼られているので、蓋を外してしまうと間違えますよね」。
Sさんは鋭く指摘しました。私も同感でした。
私たちは会社に改善を厳しく求めました。
帰り道、2人で医療安全の在り方をいろいろ話しました。
「でも明日は我が身なのよね」。
しみじみと語る彼女の言葉に頷きました。

Sさんはまもなく定年退職となり、私も前任地を離れました。

私がこの病院に赴任してすぐ、民事再生という非常事態に陥りました。現在の医療法人が資金支援をしてくれたおかげで、この危機は乗り越えられました。しかし、そうなるまでにはいくつもの危機的状況がありました。

その1つが臨床検査技師の不足でした。それまで契約の臨床検査会社が機器の貸し出しとともに技師の派遣をしてくれていました。病院の倒産が分かるや否や契約を解除し引き揚げたのです。器械だけはしばらく猶予をもらいましたが、技師は直ちに引き揚げられました。
民事再生とは、倒産しても病院業務を継続せよ、という裁判所の命令です。したがって、診療も検査も通常通り行われました。しかし検査技師の絶対数が突然不足したのです。残った臨床検査技師は幼な児を背負い、別の子供を検査室で遊ばせながら夜遅くまで業務に当たってくれました。
これを見て、検査技師の補充を事務に強く働きかけました。しかし、倒産した病院に勤めてくれる人などいません。

ここで閃いたのが、鋭い感を持つSさんのことです。
電話を入れました。
「検査技師を誰か紹介してくれないか」。
単刀直入に切り出しました。
「埼玉に知っている技師なんかいませんよ」。
遠く離れた地です。無理もありません。
「あなたが来ませんか」。
私も必死でした。
「無理よ、先生。でも・・・」。
彼女は少し言い淀みました。
「娘が埼玉の〇〇市にいるのよ。」
すかさず畳み掛けました。
「だったら娘さんのところにしばらくいて、うちの病院を手伝ってくれないか」。
「ああ、それはダメ。こちらにも孫がいるのよ」。
強引な交渉はそこまででした。

1週間経ったときです。
Sさんから電話がかかってきました。
「若い女性の検査技師が見学したいと言っているけどどうかしら。埼玉にいる同級生に聞いてみたらお友達に声をかけてくれて、そのお友達がまた誰かにお願いしたみたい。私の知らない人だけど友達の友達の紹介だからいい人ではないかしら」。

ほどなく、当人から連絡がありました。
次の土曜日に病院を見たい、というのです。
こうして1人の検査技師の補充が叶いました。

あれからおよそ3年。
危機を救ってくれた臨床検査技師が遠い北国にお嫁に行くことになりました。
「おめでとう、ありがとう」。

お祝いの品には深い思いがこもっているのです。