「0歳から百歳を超えて、いのちに向き合う」

 

先日の日曜日、第28回日本死の臨床研究会関東甲信越支部 栃木大会がウェブと済生会宇都宮病院の会場とのハイブリッドで開催されました。
大会テーマは「0歳から百歳を超えて、いのちに向き合う」、大会長は高橋昭彦先生(ひばりクリニック院長、認定特定非営利活動法人うりずん理事長)。私はウェブで参加しました。

高橋先生は滋賀県出身の自治医大卒業生です。小児科医でもあります。初めてお会いしたのは21年前、2000年5月でした。当時、大学病院に緩和ケア病棟を設置する動きがあり、私はその運動に賛同する立場でした。2008年に実現しましたが、当初、大学上層部は大学病院に緩和ケア病棟は不要という立場でした。大学は先進医療に注力すべきで緩和ケアは大学に馴染まない、採算性にも問題がある、という主張でした。上層部の反対にめげず賛同派は「緩和ケアは医療の基本、教育機関だからこそ設置すべし」と考えて会合を重ね勉強会を開き、議論を深めていきました。その勉強会の中で知り合ったのが高橋昭彦先生でした。

高橋先生は自治医大を卒業後、地元の滋賀県で義務を果たし、当時は栃木県で在宅介護支援センターの在宅医療・相談支援をされていました。大学病院に緩和ケア病棟(ホスピス)をつくることについてアドバイスをいただきました。
「大学病院では、患者さんの生活や精神的な背景に関心を持つ医療関係者は少ないと思います。ホスピスケア云々の前に、やはりケアをしている人間とケアを受けている人間が、何のかわりもない同じ人間であるということを認識できるかどうかということ、そして、自分が逆の立場になったときに『自分が受けたいケア』を実践しているかどうかということ、そのあたりがクリアできて初めてホスピスについての会話や議論が成り立つと私は考えています」。

その後、高橋先生は栃木を離れました。故郷の滋賀に再び戻られ、介護施設の施設長となられました。

私は外科学講座の主任教授を務めていました。外科医は単に手術だけをしていればよい、というはずがない。手術には限界がある。手術で解決できないとき、外科医はどうすべきか、医師としてどう行動すべきか。それを考えていました。2001年度の春を迎えたとき、年間の講義予定を作成する中で、高橋先生の考え方を最終学年の医学生に聞かせたいと思いました。
秋の「総括講義」の1コマに高橋先生の講義を入れました。高橋先生も快く引き受けてくださいました。滋賀からの交通費と当地での滞在費は外科学講座で負担することにしました。「総括講義」というのは毎年秋頃に各診療講座が担当する講義です。半年後の医師国家試験(国試)への準備となるもので、簡単にいうと国試対策、試験勉強です。試験勉強もよいが医師として学ぶべきことを最後に伝えるのも大切だ、と考えたのです。

その講義までの間、滋賀に戻られた高橋先生とは折に触れメールでやりとりをしていました。その中で、高橋先生が9月上旬、アメリカのホスピスを巡るツアーに出かけることが分かりました。上智大学アルフォンス・デーケン教授(2020/9/9ブログ参照)が同行して日本のホスピス関係者約30名がワシントンとニューヨークのホスピス12箇所を訪れるというのです。9月3日、高橋先生にこうメールしました。
「ホスピス視察旅行、気を付けてお出かけ下さい。施設見学もさることながら、種々の職種の方々との旅行は、必ずや得るところは大きいと思います。ぜひ、ご報告をお願い致します。高橋先生には10月9日(火)1限目に医学部6年生対象の総括講義『腫瘍』でのお話(告知、在宅ケア)をお願いしてありますが、そのときにアメリカ視察の御報告とともに先生のお考え、医学生へのメッセージをお話し頂けませんでしょうか」。

一行は9月11日、ニューヨークにいました。そして、9.11テロに遭遇しました。そのときの体験を高橋先生はこう知らせてくださいました。
「ワールドトレードセンターから3kmの地点でテロ事件に遭遇しました。現地でのホスピス研修は途中で中止、一時、ホテルからも緊急避難という事態となりました。空港閉鎖の関係で帰りの飛行機も遅れましたが、18日、4日間の遅れで無事成田に着きました。私はそこで人生が変わるほどの貴重な経験をしました。ホスピスマインド、日本人の危機管理意識、アメリカという国のことなど多くのことを学びました。生きて日本に帰れるのなら、これはお伝えするのが私の役割だと考えるに至りました」。

10月9日の高橋先生の総括講義は強烈でした。当時の聴講メモが残っています。
1.アメリカのホスピスはNPOが設立している。収入の1/5は寄付。一部の施設は100%寄付で成り立っている。ボランティアが積極的に参加。大企業は慈善事業に熱心である(マックドナルドによる子供病院宿泊施設提供)。
2.生涯をAIDS施設に捧げるSister Vincent。笑顔。「日本でこのような施設・体制を作っていくには?」との質問に、「自分の使命を果たしていけばよい」。
3.テロ発生2日後にホテルからの緊急避難命令が出た時、非常階段を28階降りながら、死を覚悟しつつも誰一人先を争う人がいなかった。
4.最後に、「医師はこうありたい」こととして、「謙虚であること」、「どんな人にも平らに接すること」、「笑顔であること」を挙げた。「迷ったら、自分が受けたいケア(医療)をすればよい」。言葉づかい、服装(白衣)、おむつのこと、など、細かい点にも注意するようにとの後輩へのアドバイスが随所にみられた。

物語はこれで終わったわけではありません。
翌年春、高橋昭彦先生は一大決心をして栃木県に戻られました。Sister Vincentの言葉「自分の使命を果たす」が後押しになったようです。宇都宮市郊外に「ひばりクリニック」を開設し、自分の考える医療を実践していったのです。外来診療と在宅医療を展開するとともに、医療的ケアが必要な重症心身障がい児を預かる施設「うりずん」を設立しました。赤字が続いても、仲間を集め、行政を動かしていきました。
「ひばりクリニックの目指すもの」*に基本理念が掲げられています。
*https://hibari-clinic.com/about/
1.在宅で過ごされるご利用者に出前の医療を提供します
2.子どもからお年寄りまで診る家庭医の機能を提供します
3.障がい児・者やお年寄りの生活を支える市民活動を支援します
4.病気の子どもを預かる病児保育を提供します

今回の学会テーマ「0歳から百歳を超えて、いのちに向き合う」にはこうした背景があったのです。

講演とシンポジウムでの発言の1つ1つを重く受け止め、1日を過ごしました。ありがとうございました。