えみ子と、みえ子

長いこと寝たきりの患者さんがいます。ご高齢の男性です。
話しかけると目をうっすら開け、口を微かに動かし、何かを言おうとします。
残念ながら聞き取れません。唇から読み取ることもできません。
諦めたのだと思います。やがて静かに目を閉じてしまわれます。

このかたの奥様が新しい着替えを届けに病棟に来られました。
ちょうど私も病棟にいました。1ヶ月ぶりにお会いしたことになります。
以前は、長い時間付き添っておられたので、よくお会いしていました。
ところが、新型コロナ感染防止の名目で面会禁止になったために、お会いすることはなくなりました。

看護師と着替えの交換をするのは1分足らず。そこに私が居合わせたのは、偶然です。挨拶を交わすと、奥様の目に何かを感じました。
「会っていかれますか。」
笑顔でうなずかれました。

体温を測っていただき、病室の入り口で手をしっかり消毒するようお願いして、ベッドにご案内しました。

「あなた、私よ、分かる?」
私は、まごつきました。
もし、しかめ面になったら、どう取り持とうか、と。
そのとき、患者さんは微妙な表情を浮かべました。私には微妙でした。
でも、奥様は納得の顔をされました。
そして、突然、話し出されました。
「私の名前は『えみ子』って言うんです。この人は結婚式の誓いの言葉で「みえ子」と言ったんです・・・」
それ以上は話されませんでした。

「あと5分だけいいですよ。」
私はその場を離れました。

なぜ5分だけなのか。5分と10分、あるいは15分とで感染防止に差が出るというエビデンスはあるのか。自分に腹を立てながら独り病室を出ました。