へき地医療(2)

前回紹介したコーヴィッチ医師は今でもノーザン・ナバホ医療センターに勤めているでしょうか。
勤めているようです。

2020年7月のニューイングランド医学誌(NEJM)に「Rural matters(田舎が大事だ)」というエッセイを書いています。ちなみにこのエッセイのオンライン発表は同年4月。黒人のジョージ・フロイド氏が警察官に殺害されたのを機に全米で繰り広げられた「Black lives matter」(黒人の命が大事だ)は同年6月から。「Rural matters」というタイトルは非常に印象的となりました。
コーヴィッチ医師は「Rural matters」の中で、ナバホ準自治領(インディアン保留地)での新型コロナ感染症(COVID-19)の大流行を地域医療の視点で伝えています。4月の段階で感染の流行レベルは5。病院全体がコロナ病棟になっているそうです。レベル6になれば近くの体育館をコロナ病棟にするとのこと。なぜ過疎の地域で大流行しているのか、原住民がそれをどう受けとめているのか、家族の悲しい死とどう関わっているか、ブロードバンドも携帯電話もない地理的条件の中で社会の絆をどう深めているか。
コーヴィッチ医師は駐車場に発熱外来を立ち上げ、救急の現場に立ちながら、地元の人たちを愛情と熱情で描いていました。

砂漠の町に残る理由を前回紹介したエッセイ*に添付された音声インタビューで語っています。
* http://cdn.nejm.org/pdf/Perspectives-on-Practice.pdf
へき地にいる最大の理由は、「人口の20%がへき地にいるのに、そこにいる医師は11%に過ぎないからだ」というのです。少ない医療資源の中でどう医療をやりくりするか。そのやりくりの妙味が彼女をへき地に引きつけているように私には思えました。
「やりくり」について例えばこう述べています。
「あらゆる症状を1回の受診で済ませてしまいます。腰痛を訴えるコントロール不良の糖尿病患者が子宮頸がん検診を受けそこなっていたら腰痛も糖尿病も細胞診も全部診てしまいます。天候が悪くて車が泥にはまったために予約時間に遅れても必ず診てあげます。奥地では大型トレーラーに医師や看護師、薬剤師、糖尿病指導士を乗せて、サテライト診療を行います。小児科や思春期の外来を学校で開くこともあります。そこでは喘息診療や妊婦健診、メンタルケアも行います。ともかくアクセスをよくするのです。私たちは何でもできるようスキルアップに努めます。確かにチャレンジングですが、同時に楽しみでもあるのです。
遠隔診療ももちろん行っています。私たちの病院に眼科医はいません。糖尿病の多い地域です。検眼士(optometrist)が眼底写真を撮って専門のジョスリン視力ネットワークに送り読んでもらいます。また、行動や習慣から生じる心身の健康問題への取り組み(behavioral health)を遠隔で行なっています。救急でも遠隔医療を活用しています。ボストンのブリガム&ウィメンズ病院との週2回のテレビカンファレンスも勉強になりますが、何よりも素晴らしいのはこうした縁で専門家が週に1回私たちの病院に実際に診療に来てくださることです。知り合うと今度は離れていても電話やメールで簡単に相談に乗ってもらえるのです。
確かに医師だけでなく、看護師も放射線技師も全部不足しています。しかし、例えば奨学金で医療者を育成するプログラムがあります。育成プログラムの学生やレジデントはこの地域での医療を経験すると『素晴らしい』と言ってくれます。そのことが、この地域の医療と人々の素晴らしを私たちにあらためて教えてくれるのです」。

ノーザン・ナバホ医療センターはアメリカ・ニューメキシコ州シップロックにある地域中核病院です。シップロックは、砂漠の中の船の形をした岩で有名です。ナバホ準自治領の西北端に位置しています。人口は8千人余り。周辺人口は数万人と思われます。
シップロックの町は砂漠の真ん中にあります。最も近い主要都市は南のニューメキシコ州アルバカーキ(人口48万人)、約250kmです。次に近いのは東北方向にあるコロラド州デンバー(人口60万人)、約500km。北のユタ州ソールトレイク(人口19万人)および南西のアリゾナ州フェニックス(人口145万人)まで約550km、西のネバダ州ラスベガス(人口60万人)まで約600km。こうした距離はあくまでも直線距離です。時速100kmで車を走らせても早くて3時間。6時間以上かかることもあるでしょう。

日本の国土と同寸で比べれば、コーヴィッチ医師たちが地元で完結する医療を目指すのがお分かりいただけると思います。