よろこびの会

前任地の茨城県では、がん患者の皆様とのお付き合いが多くありました。
茨城がん体験談スピーカーバンクのことはこのブログでも何度か取り上げました(2019/10/7、2020/1/31、2021/1/28)。
もうひとつ、今でもお付き合いのある会があります。茨城よろこびの会です。「よろこびの会」は、がん患者の全国的な組織です。各県に支部があり、その1つが茨城よろこびの会でした。

私の患者さんにがんのかたが多かったこともあり、自然と茨城よろこびの会のメンバーと知り合いになりました。皆さんとても元気でした。とても明るいかたがたでした。茨城よろこびの会の会合にときどき呼ばれ、真摯な議論を聞かせていただきました。ときにメンバーの皆様にがんの話をさせていただきました。一緒に考えたいという思いでお話をさせていただきました。

2012年6月、茨城よろこびの会は、よろこびの会全国大会を筑波山温泉のホテルで主催しました。このとき、茨城よろこびの会の皆様は張り切っていました。そのうちの一人がT子さんでした。T子のTは華やかで美しいさまを表す日本古来の言葉です。
「いつも明るいですね」。
私はよく声をかけていました。
その日はこう声をかけました。
「今日はとくに明るいですね」。
「私の名前はT子ですから」。
T子さんは笑顔いっぱいで応えてくれました。

私は、大会総会で来賓として祝辞を述べました。
「私は長年、外科医としてがんの患者さんと一緒に苦楽をともにしてきたと思っております。この間に医療は大いに進歩しました。がんの領域においても、予防、検診、診断、手術、化学療法、放射線治療などで格段の進歩を達成してきました。まさに隔世の感がいたします。
しかし、その一方で、依然として治療困難ながんが存在し、今なお多くの患者さんを苦しめています。さらに治療の進歩は別のあらたな問題を生むようになりました。たとえば、医療費の高騰、専門分化の流れ、地域格差の拡大、などです。こうした進歩と新たな問題の発生は相互に関係し合いながら、今の時代を迎えています。
変化するがん医療の中で、ひとつ、絶対に変わらないことがあります。それは患者さんの悩みであり、その悩みを癒すよう医療者のみならず社会全体が支援し続けることの大切さです。このことは私のような医師はすべて分かっているはずですが、残念ながら患者の皆さまのご期待に必ずしも応えていないように思います。本当に残念でなりません。
私自身は、患者さんの悩みに耳を傾け、何とか良い医療を提供したいと努力してきたつもりです。しかし、一人の力では如何ともしがたいこともあり、挫けそうになることも度々でした。一人では当然限界がありますので、仲間を集め、後輩を指導し、より良い医療環境を整えるよう精一杯の努力を続けるのが今の自分に課せられた使命だと思っております。
嬉しいことに、患者さん自身が生きる元気を私たち医療者に与えてくださることも多々ありました。悩み苦しんでいる患者さんが私たちに生きる力を与えてくださることが間違いなくあります。ときに感動で涙することもあります。
そのひとつの例が、この「よろこびの会」です。がん患者さんとその家族のかたがたの会の名前に「よろこび」という言葉が付いているのです。感動いたしました。
この患者さんや御家族のかたがたの熱い思いが、医療界のみならず広く社会に浸透することを期待したいと思います。病める人たちに少しでも多くの喜びが生まれますよう祈らずにはいられません」。

総会の後の懇親会で、T子さんは私に近づいて来て「先生、ありがとう!」とおっしゃってくださいました。生きる勇気をもらった、というのです。
「私こそ生きる勇気をいただいているのですよ」と返しました。

その後、2年も経たずT子さんは亡くなりました。
亡くなられてしばらくして御主人が病院に来られました。
妻の形見です、と言って1枚の写真を私に下さいました。
それは、幸せいっぱい、満面の笑みを浮かべるT子さんでした。
「よろこび」の真の意味を教えていただきました。