インフォームド・コンセントは患者がするもの。医療者がするものではありません

インフォームド・コンセント、最近は略してICと呼ばれることが多くなっています。この言葉は1980年ごろアメリカから日本に伝わってきたと記憶しています。
医師の出す方針が全てであったパターナリズム(父権主義)への反省を踏まえ、患者側からの意思を尊重する考え方として医療現場に入ってきました。
英語の語義は、あくまでもコンセント(同意)が主体です(不同意という同意も含む)。インフォームドは「十分な情報を得た上での」という意味の形容詞です。そのコンセント(同意)を得た上でないと、医療者とくに医師は診療方針にゴーサインが出せないという考え方です。
したがってインフォームド・コンセント(IC)は患者がするものであって、医療者がするものではありません。
ところが、日本にICという言葉が導入されてまもなく、ICは医療者がするものという誤解が生じました。初めは、その誤解は小さく、誤用を見聞きすることは少なかったのですが、やがて日本中に広まりました。
私が前任地の茨城県の県立病院にいたとき、ICという言葉を誤用する医療者はほとんどいませんでした。たまに、「これから患者にICする」という若い医師がいました。「ICは患者がするもの、医者がするものではありません」と注意していました。それも、本当にたまのことでした。
今の病院では100%、ICは医療者がすることになっています。調べてみると、多くの病院・医師・医療者がICは自分たちがするものだと思っていることに気づきました。
その原因はICの日本語訳を「説明と同意」としたことに由来するように思います。説明の主語は医療者、同意の主語は患者という2つの主語が混ざった翻訳になったのが誤解の始まりです。この問題は私自身20年以上前に指摘しました(Gerontology 老年医学 1997; 9:187)。
英語は一貫しています。次のような使い方をします。

Written informed consent was obtained from each patient. (Oxford Dictionary of English)
(全ての患者からICを書面でいただいた。)

「説明と同意」の日本語訳には、導入直後からさまざまな意見がありました。ICの基本はあくまでも患者の自己決定権・自己選択権に基づくもので医療者が説明することではない、患者側の主体性を表すのがICだから「説明と同意」は誤りだ、「理解と決定」や「納得と選択」とすべきだ、という意見は随分前から示されてきました。しかし、日本医師会も、リハビリテーション医学会も「説明と同意」としました。そのため、当初は、患者がICをするという考えは知られていても、やがて「説明をした、患者からサインをもらった」という病院・医師・医療者の自己保全的なこと(裁判になったときのため、規則で同意が義務付けられているため、など)に使われるようになっていったと思われます。
そのほかの要因として挙げられるのは、医療法の改正(適切な説明を行って受療者からの理解を得る医療者側の努力義務規定の整備)と、それについての厚生労働省の誤った解説です。例えば、平成19年度版厚生労働白書(https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/07/dl/0101.pdf)ではこう明記されています(p. 11)。

「1997(平成9)年の(医療法)改正(第3次改正)では、医療の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならないという医療の提供に当たってのインフォームド・コンセント(患者に対する十分な説明と同意)の努力義務規定が整備された。」

こうして医療現場では、「説明と同意」とは「説明をして同意をもらうこと」に変節してしまいました。こうなると、主語は病院・医師・医療者だけです。患者の権利・自己決定権・主体性の考え方が見えず、単なる説明、サインの儀式化と同義語となってしまいました。パターナリズの時代に戻ってしまっています。
昔、和製ドイツ語として医師の「ムンテラ」(ムントテラピーの略;Mundムント[口 (くち)]+Therapieテラピー[治療]、医師からの説明という意味でよく使われた、「誤魔化す」のニュアンスを含む場合もあった)が盛んに使われていました。今の時代、ムンテラがICに代わっただけだと言えます。
そして、英語のinformed consentと日本語のインフォームド・コンセントはもはや違う概念だという研究発表まで現れました(*八田太一ほか. ”Informed Consent”と『インフォームド・コンセント』〜歴史的変遷から浮かび上がるねじれの構造〜. http://www.kuhp.kyoto-u.ac.jp/~rinsho/more-ic/20120223pos.pdf)。
1980年から2012年の国内雑誌に収載された原著論文1940件のうち136件の抄録で用いられているインフォームド・コンセントの主語と目的語を抽出し、インフォームド・コンセントの主体は誰か(何か)を調べた研究です。その結果は、1)患者・家族 46件、2)医療者114件、3)それ以外(場や関係)36件でした(各項目重複あり、表参照)。結論は、「インフォームド・コンセントの変遷を踏まえるならば、本邦のインフォームド・コンセントが患者を主体とした概念にとどまらないことは、必然的な帰結であったと考える。」です。

「ねじれの構造」は認めざるを得ません。ならば、インフォームド・コンセントの略称はICではなく、「インコン」とでもすればよいでしょう。そもそも、患者主体が外れること、すでに外れていることに私は大反対です。医療者主体になれば結局、患者中心の医療ではなくなるからです。多くの病院は理念として「患者中心の医療」を掲げているのではないでしょうか。