オープニングセレモニーの挨拶

新しい建物、新しい組織ができると1つのけじめとしてオープニングセレモニーが開かれます。儀式とは言え、第一歩を踏み出すに当たりオープンの意義を説く挨拶が必ずあります。いくつもの新病院の開所式でその挨拶を聞いてきました。
ほとんどが無難な挨拶でした。
どきっとする挨拶もありました。ある地方大学が関連施設として医療センターをある町の郊外に新設しました。理事長は、これだけ立派な施設を建てたのだからしっかり稼いでもらわないと困る、と強い調子で話しました。式典の前席に座る後輩教授の広い背が一瞬こわばりました。

これとは反対に前向きのメッセージに感動したこともあります。
2010年6月21 日、日立製作所(日製)ひたちなか総合病院の竣工式でのことでした。
日製ひたちなか総合病院はそれまで日製水戸総合病院と称されていました。水戸市ではなく、ひたちなか市にあるにもかかわらず、水戸の隣にある関係で水戸病院と呼ばれていました。そもそもひたちなか市にある日立の工場が水戸工場と呼ばれていたのです。

日製水戸総合病院は老朽化していました。私が県立病院に赴任した2007年4月、着任のご挨拶に当時のN院長を訪れたとき、通された院長室はプレハブでした。
それから3年、素晴らしい新病院がオープンしました。ひたちなか市にある市民病院的な病院ですので、名称も水戸を脱却して日製ひたちなか総合病院に変更されました。
2010年6月と言えば、日立製作所が同年3月期決算を発表したばかりでした。創業以来最大の損益、年間8千億円の赤字でした。リーマンショックの影響です。前年、会長に就任した川村隆氏が挨拶に立ちました。厳しい財政の中で病院経営について何を語るのか一同、固唾を呑んで聞きました。
川村氏はこう切り出したのです。
「会社の経営は厳しい状況です。しかし、私たちは医療を全面的に支えます。会社が赤字だからといって医療を見放すことはしません」。
よくぞ言ってくれた。会場は万雷の拍手に包まれました。

その後の日立の立ち直りはご存知の通りです。
私は、日立という会社だけでなく、病院のその後も見続けました。期待通りでした。
特筆すべきは開院から9カ月後に起きた東日本大震災のときのことです。
費用を大幅に上乗せして耐震構造から免震構造にしたのが、ひたちなか総合病院です。私がいた県立病院は耐震構造でしたが、建物の被害は甚大でした(2019/7/29・2019/9/24・2020/3/11のブログ参照)。要するに耐震とは、建物が崩壊しないという意味であって、被害が最小限になるということではありません。免震構造は、N院長にあとから聞くと「船が揺れる感じだった」とのこと。
先見の明だったのでしょう。しかし「医療とは、先見・後見にかかかわらず、常に支えるべき事業だ」という認識があってこそ、なのだと思います。

コロナ禍で病院の経営はどこも苦しくなっています。当院も同じです。
だからと言って、献身的な職員、地域への貢献を見放してよいのか。この思いが沸沸と湧いてきます。