カズオ・イシグロ:クララとお日さま

イギリスの作家カズオ・イシグロを初めて知ったのは西ドイツ留学中でした。当時、現地の新聞・雑誌を購読していました。日本の情報を得るため週刊朝日と週刊新潮を親に毎月まとめて送ってもらっていました(2020/7/6ブログ参照)。もう1つ、英語圏の情報も得ようとNewsweekをときどき読んでいました。Newsweek 1987/1/26号に、カズオ・イシグロ(32歳)が1986年のウィットブレッド賞を受賞したニュースが載っていました(図参照)。受賞作は「An Artist of the Floating World(浮世の画家)」。訛りのない完璧な英語で挨拶をしたと記事にありました。
その記事によれば、イシグロは長崎のサムライの家に生まれ、6歳のとき親に連れられてロンドンに渡り、そのままイギリスに住み着いたとのこと。28歳での最初の長編小説「A Pale View of the Hills(遠い山なみの光)」(1982)はイギリス最高のブッカー賞の最終候補に残りました。この第1作も今回の作品も日本人が主人公です。背景に太平洋戦争の影があると説明されていました。私はこの記事を切り抜き保存しました。

しかし、イシグロの作品を読むことはありませんでした。ノーベル文学賞を受賞したときも、読もうという気になりませんでした。書評だけ読んでいました。別の作家の長編は読んでいましたので、読む時間がなかったわけではありません。「後生畏る可し」が過ぎたのかもしれません。

「クララとお日さま」は、ノーベル賞受賞後初の長編小説として紹介されました。2021/3/6の日本経済新聞にインタービュー記事「AIが主人公の新作 カズオ・イシグロに聞く」が載りました。
「私はAIについてはあまり恐れや懸念を感じていません。太陽光がエネルギー源のクララは太陽に全幅の信頼を寄せ、決して希望を捨てようとしない。それは人間と神の関係に似ている。いずれ機械にも宗教に似た感情が芽生えるんじゃないかという想像はとても魅力的で、小説のタイトルを『クララとお日さま』にしたのも、それが理由です」。

読もうと決めました。
今、巷に溢れる「AI(人工知能)」は「知能」とは名ばかり。所詮、コンピュータ(計算機)の域を出ません。人間がプログラムを作り超高速で計算するだけです。「知能」とは、自分で考え、行動し、ときに成長、ときに退化するものです。カズオ・イシグロの言葉を読む限り「本物のAI」が描かれている物語のようでした。

イシグロの英語は読みやすいと言われます。一方では、細かなニュアンスは相当の英語力がないと分からない、むしろ翻訳がよい、とのコメントもあります。そこで、英語版と日本語版の両方をダウンロードしました。翻訳を読み、振り返って原文を読む、を繰り返しました。
翻訳の「捕らぬ狸の話はいっさいなしよ」の原文は「let’s assume nothing」でした。狸は不適、「決めつけないようにしようね」で十分、と思いました。

さて中身はと言えば、SFのようでいてSFではない。近未来のようでいて近未来ではない。現代の「お伽噺」でした。
ノーベル文学賞選定委員会2017の解説「Kazuo Ishiguro “who, in novels of great emotional force, has uncovered the abyss beneath our illusory sense of connection with the world”(イシグロは、感情を突き動かす小説によって、現実世界の幻想に潜む深淵を覗かせてくれた)」は的を射ていました。

小説を本で読む「欠点」について、新聞小説と対比して本ブログで述べたことがあります(2020/7/30)。
「本で小説を読むと、物語の終わりに近づきつつあることは、残りページが少なくなるので分かってしまいます。新聞小説はそれがありません。それが魅力なのです。いつものように読み進め、突如「完」が飛び込んでくるほうが「一巻の終わり」にふさわしいとかねがね思っていました。物語の突然の終焉こそ、物語だからです。人生に通じるものがあるからです」。

それを百も承知で本を読み進めていきました。
現代社会への批判を匂わすエピソードが散りばめられていました(遺伝子操作、環境汚染、差別、縁故、民間武装組織)。それを横目に本筋にのめり込んでいきました。
本の4分の3が過ぎるころ、読み手は着地点を意識するようになりました。
病弱のジョジーが回復し、大学生となって家を出ます。いよいよ最終局面に入りました。キンドル本だと95%から96%。
はやる心であらぬことを考え続けました。自分が作者ならどういう終わり方をするだろうか。知能を持ったロボットの物語の最後をどう締めるだろうか。
不安が高まり、期待が膨らみます。大団円に向け加速していきました。

最終章は・・・。
野外の広大な物置場。そこに置かれたロボットたち。
予期していました。悲しみで胸がふさがれます。
しかし、クララは違っていました。ともかく明るいのです。
予期せぬ展開でした。喜びが生まれました。
「クララは太陽に全幅の信頼を寄せ、決して希望を捨てようとしない。それは人間と神の関係に似ている」。イシグロの言葉通りでした。
幻想の深淵、人間の真理を垣間見る結末でした。