先週、ディープインパクトが死んだと報じられました。
私は競馬ファンではありません。それでも新聞に載ったこの見出しに心が動きました。
「ディープインパクト死す」。

「〜死す」は、例えば「信長死す」のように、小説や年表などで歴史上の人物が死んだことを表す言い方です。現代の新聞ではまずお目にかかりません。特定の人であれば「死去」、敬えば「逝去」です。不特定の人については「死亡」。動物の場合、例えば不機嫌顔で有名だったネコのときは「グラビー死ぬ」でした。
「〜死す」となったディープインパクトは、やはり歴史上の人物と同等なのだと思います。あの馬の、あの活躍があった、あの時代を懐かしむ表現のように思えました。

あの時代、もう少し絞ると、2005〜2006年になります。
私に一大事件がありました。肺がんの疑いで手術を受けたのが2005年、大学を辞める決心をしたのが2006年。国内政治では、小泉政権まっ盛り。郵政民営化の是非を問うとして衆議院解散に打って出て大勝し、劇場型政治と称されました。自分のこと、世の中のこと、将来のことで深く内省していく中で、新聞やテレビから入るディープインパクトという馬の活躍は否応なく目と耳に残りました。

前述の新聞記事に別の2頭の馬のことが書いてあります。1頭はハイセイコー。名前はもちろん記憶にあります。しかし実感がありません。調べてみるとハイセイコーが活躍したのは、私が医師になった年から初期研修医を経て、結婚し、新婚1週間で群馬県に駆け出し外科医として赴任した頃に当たります。未来に向けて発散していました。もう 1頭はオグリキャップ。しかし自分の生活との接点がありません。これも調べてみると当然でした。ドイツに留学していた頃と重なり、その後の国立療養所赴任という新天地を求めていた時期にも相当します。
競馬ファンから叱られそうですが、私からするとハイセイコーもオグリキャップも、自分の中ではその程度の目立たない存在でした。

だが、ディープインパクトは違います。あのときの自分は内に向かっていました。さらに、この馬に特別な思いがあるのは、その名前です。
インパクトは「衝撃」という意味の英語です。実は医学界とくに医学研究の世界ではインパクトファクターが重んじられます。
ある研究者の論文が他の研究者にどの程度引用されているか、すなわち、どれほど評価されているかを示す指標だとお考えください。対象となる論文は世界中で読めることが前提ですので、当然英語論文となります。これが一定の基準で計算され公表されます。1.0程度であれば並、10以上だとスゴイ、20以上だとメチャスゴイになります。世界から注目される英語論文を何十本も書けば、総インパクトファクターは数百点になります。その絶対数で業績を判断しようという風潮が当時の教授選考ではありました。しかしながら臨床、例えば外科の教授を選ぶのに、腕前ではなく、研究評価のインパクトファクターだけを重視してよいのか、という議論はよく聞かれました。
インパクトという名前だけだと、こうした虚しいイメージがつきまといます。しかしディープ(深い)という形容詞がつくと、なぜか哲学的となります。

引退したこの名馬にもう少しのところで会えた経験が私にあります。
2015年、中学校の修学旅行の付き添い医師として4泊5日の北海道船の旅に出かけました。初日、船中泊で船酔いが続出しました。夜通し治療(ではなく介抱)しながらようやく着いた苫小牧港。そこからバスに乗って最初の見学地「ノーザンホースパーク」に着きました。船でゲーゲーしていた中学生は疲れも知らず牧場内を自転車に乗ったり、アイスを食べたりしながら遊びまわっていました。疲れ切っている私は売店に入ってぼんやりながめていました。すると、馬の写真がたくさん飾ってあります。ほとんどがディープインパクトでした。この牧場にいるという手書きの説明もありました。
ああ、ここにいるんだ。10年前の自分とその後の紆余曲折を思い出しながら、名声を博したディープインパクトにあらためて思いを寄せました。
会ってみたい。
その衝動に駆られ、売店のおばさんに聞きました。
「会えますか。」
すると、おばさんは「無理。手続きがいる。それにここから遠いよ。」
つれない返事でした。
時間も限られていました。写真にそっと別れを告げて、またバスに乗り込みました。

競馬ファンではないのに馬券を買ったことが一度だけあります。ディープインパクトの時代ではなく、その10数年前に遡ります。神戸で学会が開かれ、大学の医局員と一緒に参加しました。初日の夜、三宮の店に集まり酒を酌み交わしました。1人が競馬新聞を取り出して読み始めました。聞くと、京都記念があるという。
「どれ、見せろ。」
新聞を取り上げ、予想記事を読みました。
酔った勢いとは恐ろしいものです。
「これにする!」
1万円札を差し出しました。
「全部これに賭けるんですか。」
ニヤニヤしながら若い医局員が言います。
「文句言わずに買ってくれ。」
酔っていて、馬は何だったのか、単勝に賭けたのか、連勝複式だったのか、記憶にありません。
週明けの月曜日、大学に行くとその若いのがニコニコして声をかけてきました。
「先生、当たりましたよ。」
5万円ほど現金をくれました。
これが私の唯一の経験です。以後、馬券は買ったことがありません。
したがって私の生涯馬券的中率は100%です。

もう気づかれたと思います。最後のことを言いたいためにここまできました。
ディープインパクト、ごめんなさい。でも、会えてよかった。
安らかにお休みなさい。


日本経済新聞
2019年7月31日


ノーザンホースパーク(北海道苫小牧市)
2015年5月21日