ドクターカー

重症者の救急医療は救急車が患者を運んでくる形をとっています。「それでは遅すぎる」と感じる医師が出てきました。自分達が率先して現場に駆けつけるべきだ、と主張するようになりました。

私が前任地の院長を務めていたとき、ある医師が私に「ドクターカーを運用したい」と言ってきました。救急に取り組んでいた若者でした。その病院に救急センターはありましたが、救急科専属医はおらず、各科がそれぞれ救急医療を担っていました。その若者は総合診療科の一員として救急に取り組んでいました。
「すぐにでもやりたい」。
「なぜ急ぐのか」。
私の質問に次のように答えてくれました。
「夏になるとゴルフ場で心筋梗塞を起こす人がいますよね。」
病院の周りにはゴルフ場がいくつもありました。炎天下にゴルフを楽しみ人も少なくありません。なぜかグリーン上でパットを決めようとするときに倒れる人が出てきます。脱水に緊張が加わり心筋梗塞を起こすようです。
彼は強く言います。
「グリーンからクラブハウスに人力で運び、そこから救急車を呼んでいては救命できません。急ぐ必要があります」。
確かにその通り。
ドクターカーがフェアウェイを疾走してグリーンに向かう場面が思い描けました。
理屈はその通りです。が、救急車を管轄する市との調整を行わなければなりません。その調整のため「すぐに」が結局、半年ほどかかりました。それでもドクターカーは颯爽とデビューしました。後日、ドクターカーを背景に若者・私・地元市長のスリーショットが新聞の紙面を飾りました。私も市長も救急の現場に関わっていないのにも関わらず、でした。
トップの思惑とは関係なく、若者はドクターカーに乗り込み現場に出かけて行くようになりました。サイレンを流しながら病院を出るドクターカーに出会うたび静かに頭を下げたものでした。

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昔を思い出したのは、先週末に当地の市立病院救命救急センター症例検討会(下図)でドクターカー事例の3題が発表されたからです。

1.「上肢挟まれにより救助隊、救急隊、ドクターカーが連携した事例」
2.「熱中症、脳卒中などが疑われたが大動脈解離と診断した事例」
3.「交通事故による重症複数傷病者に対しドクターカー2台が出勤した事例」

いずれも救急隊からまず報告があり、続いて病院の救急病棟の看護師あるいは救急科の医師が追加で報告する形をとっていました。さらに各症例の医学的なポイントを病院の救急科医長が解説しました。

現場に駆けつけた救急隊の臨場感溢れる記録写真と生の声には圧倒されます。何としても命を助けようとする必死の思いが伝わってきました。担当の看護師・医師もそれぞれの立場で治療の経過を報告しました。皆、プロフェッショナルの仕事をしていると感動を覚えました。

各症例報告のあと質疑応答がありました。医師の間の議論もありましたが、多くは救急隊員からの質問、救急隊員同士の熱心な討論でした。新鮮さを感じました。

検討会の最後に病院の副院長が挨拶に立ちました。ドクターカーを運用する医療チームは健康が心配になるほど働いているとの紹介がありました。
現在、ドクターカーの運用は平日の日勤帯に限られます。今回の3例はいずれも平日の午前11時台に発生した事例でした。
「地元の首長は24時間365日の早期運用を望んでいる」。
会の冒頭、救命救急センター長が話していました。
関係者の献身的な努力に触れるととともに、救急医療の難しさを垣間見る思いがしました。

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話を私の前任地に戻します。
若者はベテラン医師となり救急医療を牽引しています。ドクターカーの運用は平日・日勤帯のままです。
一方、総合診療科は、人材が流出し後継が続かず、消滅しました。
命をひとつでも多く助けるとは、どういうことなのか。
我が国の医療に根ざす問題を考えないわけにはいきません。