ファナック

日本経済新聞朝刊の最終ページに「私の履歴書」の連載があります。功成り名を遂げた人の自伝で、毎月交代していきます。

今年の元旦からファナック会長の稲葉善治氏の自伝が始まりました。ファナックは父親の稲葉清右衛門氏が創業した産業用ロボット・コンピュータ制御装置の製造会社です。この分野では今や世界トップのメーカーです。その息子であり、社長も務めた人の物語です。興味がありました。それには訳がありました。

私がファナックの存在を知ったのは1986年。医師になって13年目、38歳のときでした。日本ではなく西ドイツ留学のときです(2019/6/20ブログ参照)。それまで日本にそのような産業用ロボットの会社があることなど全く知りませんでした。
たまたま読んだ西ドイツの雑誌Spiegel(シュピーゲル)1986/8/11号でファナックの存在を知りました。富士山麓に広がるファナックの工場を取材した記事でした(図1)。
「未来の世界に行ってきた」という褒め言葉が並ぶ一方で、ドイツ人特有の皮肉もたっぷり含まれていました。いわく、「経済のパール・ハーバーで世界征服を果たした」、「黄色(ファナックのシンボルカラー)の制服の軍団が働いている」、「『黄色は”我”を忘れさせ社内一丸となる意味がある』とサムライ家系のセイエモン・イナバは言う」、「来客にお茶を出す女性はロボットかと思ったら大学卒の従業員だった」。
その後のファナックの発展は目覚ましいものでした。私にもよく分かりました。それでもSpiegelの皮肉が引っかかっていました。

元旦の第1回のタイトルは「ワンマンの父と距離感」。創業者の息子が内情を語り始めたのです。読まずにはいられませんでした。
詳しくは書きません。興味のあるかたはぜひ通読してください。親に反発しながらも中途で親の会社に入り、親から脱皮して会社をさらに成長させる物語です。ひとりの人間の生き様を読むことができますし、ビジネスパーソンの極意を知ることもできます。

蛇足を1つ。
全30回の第23回(2022/1/24)で私は「大発見」をしました。コラムの中央に富士山麓のファナック本社の航空写真がカラーで載っていました(図2a)。この写真に見覚えがありました。36年前の雑誌Spiegelに載っていた写真です。建物の影を詳細に見ると、2枚の写真は同じ日の同じ時刻に同じ角度と距離で撮られています。
雑誌の写真は白黒でした(私の手元にあるのはそのコピー)。今回の「私の履歴書」のカラー写真を白黒に直し、角度を右に2.3度回転させると、富士山や建物の形・位置はSpiegelの写真と見事に一致します(図2b, c)。つまり、ファナックから提供された航空写真をSpiegelは使ったと思われます(雑誌には言及はありません)。しかし、白黒に変換しても異なる箇所がありました。建物の黄色い壁を白黒にするとほぼ白となりますが、Spiegelの写真では奥の横並びの3棟の壁は黒ないし濃いグレーになっています。写真編集ソフトで画像加工をいろいろ試みましたが、黄色の壁を黒や濃いグレーに変えるのは、周りとのバランスをとりながらだと不可能と思われました。その部分だけを黒くした(濃くした)としか思えません。
Spiegelは、富士の白雪を際立たせるため山に近い建物の壁を黒く「塗った」のではないか、という疑惑が炙り出されたのです。

 

 

図1.雑誌Spiegel 1986/8/11号の記事の1ページ目。表題は「世界に比類なし」。

 

 

 

図2.a. 日本経済新聞2022/1/24「私の履歴書」に載ったカラー写真。b. 同写真を白黒に変換し右に2.3度回転したもの。c. 雑誌Spiegel 1986/8/11号の記事(図1)に載った写真の部分拡大。