マラドーナの思い出〜西ドイツでの1コマ

私はサッカーをプレーしたことがありません。サッカーを観るのもさほど熱心ではありません。マラドーナの思い出は瞬間的なものでした。

西ドイツ留学中のことです(2019/6/20ブログ)。
日本を発ったのが1986年5月28日。モスクワ経由のソ連のアエロフロート航空でした。フランクフルトに着くと、まず語学研修のためヘッセン州マールブルクに向かいました。郊外にあるメーニッヒ夫妻宅の1室に住み込みました。夫人は話好き、世話好きでした。御主人は、にこやかですが寡黙でした。建築士でナチス時代にソ連の捕虜になったと夫人から聞きました。本人は黙したままでした。

渡独1ヶ月後の6月29日(日)夕刻、メーニッヒ氏が「ヘア・ドクター・ナガイ、フスバル(サッカー)を一緒に観ないか」と居間のテレビに誘ってくださいました。
留学最初の3ヶ月は語学学校に通うことがフンボルト奨学生の義務でした。マールブルクの街中にあるレッシング・コレーク(カレッジ)という語学学校で平日は丸1日、ドイツ語を勉強しました。土・日は復習と予習に当てました。それなりの量の宿題があり、進級試験も控えていました。家族は私の語学研修が終わる8月末に日本から来ることになっていましたので、当時は一人暮らしでした。
その日は余裕が少しありました。メーニッヒ氏の提案に喜んで乗りました。地元のビールを2本持って伺いました。
「ビールは体に悪い。ワインを飲みなさい」。
居間に入るなりきつい調子で言われました。遠慮なくものを言うところがドイツ人。日本人は素直です。素直に従うことにしました。
それにしてもいきなりの言葉は意外でした。ドイツで自国のビールをけなす人などいないと思っていたのです。中世から「ビール純粋令」があり、ビールは麦芽・ホップ・水・酵母以外で作ってはならない、と法律で規定されています。ドイツビールの旨さはそこにあります。日本では米や糖類、香味料などの「不純物」が入っていました。それを一切許さないのがドイツビール。それを拒み、ワインを飲めというのです。

フランスの白ワインでした。犬猿の仲だった隣国のワインを勧めるとは・・・と思いつつも言葉にはせず頂戴しました。メーニッヒ家の地下にはケラー(セラー)がありました。数百本のワインを貯蔵しているほどのワイン通です。確かにその夜のワインは美味しいものでした。
2人でワインを飲みながら観たのは、サッカーワールドカップ1986のメキシコ大会決勝戦、西ドイツ対アルゼンチンのライブ中継でした。
メーニッヒ夫人はいません。寝室で本を読んでいるのでしょう。「女にはサッカーが分かりませ〜ん」。よく肩をすくめていました。

試合は接戦でした。西ドイツは初め0-2で負けていました。メーニッヒ氏はシッ(クソ)!を連発していました。西ドイツが後半2-2に追いつくと、トール(ゴール)!、ブラボー!と叫び続けました。終盤、アルゼンチンのマラドーナが絶妙のパスを出し、決勝点につなげました。西ドイツは2-3で敗れました。メーニッヒ氏はソファーに深く座り、しばし無言でした。
やがて静かに呟きました。
「(西ドイツは)2位で良い。マラドーナのいるアルゼンチンは世界一だ」。
サッカー狂のドイツ人でありながら、あれほど相手をののしっておきながら、アルゼンチンを褒め、キャプテンを褒めたのです。人は変わるものだと妙に感心しました。
マラドーナはその大会のMVPに選ばれました。メーニッヒ氏に聞くと、マラドーナは既にヨーロッパで活躍していて西ドイツでも名を馳せているとのこと。誰もが認める一流選手だからこそ、敵をも納得させたのだと思います。

先週、マラドーナは60歳で亡くなりました。繋がりはほんのわずかでしたが、私の懐かしい思い出に彩りを添えてくれました。
このような形での追悼で申し訳ありません。慎んで御冥福をお祈りします。