飛翔

杉本真樹(まき)先生の新著「メスを超える」の献本をいただきました。

新しい外科の分野を切り開いてきた軌跡が語られています。

 

杉本先生との初めての出会いは2008年6月9日でした。

私は当時、茨城県立中央病院の院長を務めていました。自治医大を辞めて1年あまり経ったときです。

かつての部下だったO先生から直前に突然、電話がかかってきました。

「若手外科医で優秀なのがいるが、今後のことで悩んでいる。話を一度聞いてもらえないか」。

実はO先生も悩んでいる、とのことでした。

「じゃあ、2人そろっていらっしゃい」。

 

6月9日、月曜日。遅い時間に2人は院長室に現れました。

2人とも30歳代半ば、外科のいわゆる10年生でした。我が身を振り返ると、自信がつき、極端に言えば「何でもできる」と思う時期でした。学位の研究も終え、外科医としての将来をどう過ごすか、岐路に立つ時期でもありました。

2人の悩みは共通していました。

「やりたいことがある、しかし今の職場ではそれが活かせない、しかし組織を脱け出すには不安がある」。突き詰めるとこのようにまとめられました。

O先生は以前から知っているのでその才能はすでに分かっていました。杉本先生は初対面でした。が、才気溢れる青年だとすぐ分かりました。

 

2人には、自分の体験に基づいて話してみました。

「人生は1回きり。後悔はしたくない。迷ったときは出ることだ。そう思って私は大学を辞めた。今は大変な状況だけど悔いはない。新しいことが毎日のように起きる。辛いとは思わない。むしろ楽しい。元の組織にいて悶々としているよりもまず出てみることだ。私の歳になれば例え失敗しても路頭に迷うことは多分ない。しかし、君たち若者はそうは行かないだろう。退路を断って、もし失敗した場合の不安はよく分かる。ならばうちの病院の外科医員の肩書を上げよう。無給だけど、肩書は自由に使ってかまわない。行き先がなくなればうちに来ればよい」。

 

アメリカから声をかけられていると杉本先生は話していました。

「ならば、アメリカに行きなさい。身元保証がないとアメリカでやっていけないのであれば、この病院の外科医員だと言えばよい。うちのネームカードを見せればよい。でも、義理を返さなければいけない、なんてことは考えなくてよい。いずれうちの病院で働いてくれ、などとも言わない。自由に動けばいい」。

 

O先生にも同様のメッセージを伝えました。

 

まもなく、2人はそれぞれの組織を離れ、外に向かって飛び立ちました。

杉本先生は今回の本で私を「恩人」と呼んでくれていますが、その飛翔は私に推されたのではありません。飛び立つ決心を既に固めたうえで最後の一言をもらっただけなのだろうと思います。

 

数年後、2人の名前を目にすることが増えました。新たな分野を間違いなく切り開いていることがわかりました。まさにパイオニアの道を歩んでいると思いました。

杉本先生は画像の世界で新境地を開きました。OsiriXによる画像処理、3Dプリンタによる個別化された生体質感臓器立体モデルの構築、VR(仮想現実)・AI(人工知能)による手術・医療支援を、外科学ばかりでなく基礎の解剖学など医学のあらゆる領域に導入していきました。

その歩みをまとめたのが「メスを超える」。私の知らないエピソードがたくさんありました。渡米後の苦労も初めて知りました。

挑戦の連続だったのは間違いありません。これからも挑戦を続けてもらいたいと願いました。

 

もうひとりのO先生。全国のいくつかの大学教授を務め、研究成果を起業に結びつけ、活躍しています。先日の日本内視鏡外科学会で「女性目線の医療機器開発の課題」のセッションを聴講したことをこのブログで紹介しました(2021/3/15)。その基調講演をされた女性外科医の発表の共同演者にO先生の名前を見つけました。共同演者になった理由をメールで聞いてみました。

O先生の返事はこうでした。

「女性仕様の客観性評価のためのデジタルデバイス開発でアドバイスをしている。本当の意味で女性をサポートし得る機器を正しく評価したい」。

 

2人とも自分の力で伸びているのが嬉しい限りです。

2人に、それに続く若人に、幸多かれと祈ります。