一瞬一瞬を大切にする

終末期の患者さんにどう接したらよいでしょうか。
いろいろな状況があります。意識があってしっかりされているかたもいれば、意識低下や認知機能低下のあるかたもいます。だから同じようには考えられない。そう言われれば、その通りです。
それでも同じ人間の最期の時には共通の考えがあってもよいように思います。しかし、よい答がなかなか得られませんでした。

多くの終末期の患者さんを看取るなかで、おそらくこう考えるとよいのではないかと、やがて思うようになりました。
40歳代半ば、大学での医学教育に再びかかわるようになった頃です。

そのきっかけをくださった患者さんがいらっしゃいます。
50歳代の女性でした。
手術に手術を重ね、それでも再発が襲ってきました。告知は済ませています。しかし「諦めよう」とは言えませんでした。
「私はこの先どうなるでしょうか」。
しっかりした眼差しで見つめられたことがあります。
思わず目を逸らしました。
「大丈夫ですよ」。

思えば、何が大丈夫だというのでしょうか。
肺転移が無数にあり、鼻に酸素の管を付けていました。

ところが、あるとき、晴れやかな顔で私を迎えて下さいました。
「私、とても幸せ」。
笑顔いっぱいでした。

「どうしてですか」。

答はこうでした。
お恥ずかしい話だけど、今までうちの家族はバラバラだった。娘は家を出てもう何年も顔を見せてくれない。電話すら寄こさなかった。それが、昨日、来たんです。ここに来たんです。自分が病気になったから来てくれたんです。もう嬉しくて嬉しくて・・・。最高に幸せ!

その数日後の土曜日午後、そのかたの部屋をノックして入りました。
すると、ご本人と娘さんが同じベッドで寝ていました。
ごめんなさいね。
口に指を当て、私にささやきました。
娘さんは母親のそばで静かに眠っていました。

大学病院では医学生と一緒に回診をします。
がん末期のその患者さんの回診を済ませたあと、学生たちに聞いてみました。
「あの患者さんの予後はどうだろうか」。
「厳しいと思います」。
ひとりの学生がすぐ答えてくれました。
「確かにあと1ヶ月ほどだろう。かわいそうだと思うか」。
返事がありません。
この病気さえなければ、あと数十年はあるはずです。1ヶ月と数十年の差。どう考えるか。
「気の毒です」。
もうひとりがようやく応えました。

「最高に幸せ!」と言った話をしました。
「本当に気の毒だろうか」。
問いかけました。
「1ヶ月も、数十年も、違いはないのではないか」。
自分にも言い聞かせるように言いました。
「一瞬一瞬を大切に生きれば、同じではないだろうか」。
理由を言いました。
「ボ〜と生きていると、数十年なんてあっという間に過ぎてしまう。時間は絶対的なものではない。相対的なのではないか。1ヶ月でも一瞬は無限にある」。
学生たちは何とも言えない表情をしていました。

「一瞬一瞬を大切にする」。
全ての場合ではありませんが、終末期の患者さんやそのご家族には、折りに触れこのことを話すようになりました。