人生最後の買い物

若いときは何の疑問もなく、いろいろなものを買い替えていました。
家もそうです。賃貸だったり、持ち家だったり。建物もアパートだったり、マンションだったり、庭付きの家だったり。結婚後だけでも引っ越しは10数回に上ります。
2年半前、茨城から埼玉に引っ越すとき、突然、人生最後の引っ越しだと気づきました。「ついのすみか」についに住む。終焉を迎えれば、一時的にせよ、自分の骨がここに運ばれるのです。

家ほどの「深刻さ」はありませんでしたが、昨年、10年半ぶりに車を買い替えました。後ろのバンパーが突然外れてしまったのでやむなく購入しました。深い思いにとらわれました。車は、これが最後になるはずだからです。若いときは、車の買い替えが当たり前でした。次の車種は何にするか。色はどうするか。中古にするか新車にするか。ワクワクして選びました。しかし、人生最後だとなると気が沈みました。

さて、本題です。
1週間前、ノートパソコンの某機種が新発売されるというニュースが流れました。私の持っているPCの後継機です。
「恐るべき速さ。革命的なパフォーマンス。驚異的なスタミナをバッテリーに与えるチップ。とてつもなく美しいディスプレイ。誰も目撃したことがないプロ向けノートブック。その力はモンスター級」。

心が躍ると同時に、疼きました。今のPCに不満はありません。動画の編集はしませんので大容量の必要はありません。ネットやメールの利用、新聞のオンライン購読に何の問題もありません。Photoshopで絵を描くのならスピードに不足はありません。これであと7年は大丈夫だという自信があります。

では7年後、80歳のときに買い替えて、そのときの最先端の機種を使いこなす自信はあるのかと問われると、怖気づきます。
ならば、このままでよいではないか。理性は冷たく言い放ちます。

でも心は疼くのです。下取り価格が載っていて誘惑します。

コンピュータグラフィックス(今で言うドローイング)を始めるためにお金を注ぎ込み家族を泣かせたことは以前書きました(2019/12/12ブログ)。あのときは若かったので押し通せました。
今は違うよ。私の理性はあくまでも冷静です。

ここまで書いて思い出しました。
4年近く前の正月、キーボードに酒をこぼしてしまいました。PCの動作に問題はないのですが、そのときから酒に濡れた幾つかのキーの動きが今ひとつです。
ならば・・・。
おい、理性よ、ここは踏ん張りどころだ。誘惑に負けるな。