健康の定義とスピリチュアル・ペイン

新学習指導要領に基づく高等学校保健体育の教科書(大修館書店 2022、p.14)を読んでいてハッとする1枚の図に出会いました。健康の捉え方の変遷を表した図です(学校教科書利用の難しいルールがあってその図を提示することができません。言葉で述べます)。昔は「身体的な疾病がないこと=健康」と考えられていた、WHO(1946年)の定義では「健康は身体面だけでなく精神面・社会面を加えて多面的に捉えるようになった」、今は「さらに『生きがいなど』が加わっている」という図です。

私の体験を踏まえてさらに説明します。

健康の定義は古くから論じられてきました。転機となったのは世界保健機関(WHO)憲章の定義です(提案は1946年、採択は1947年、発効は私が生まれた3日後の1948年4月7日)。
“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”
「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます」(日本WHO協会訳)。

50年経った1998年、健康の定義を変えようとする動きがWHOの内部でありました。2つの単語、すなわち、dynamic(動的)とspiritual(スピリチュアル)を加えようとしたのです。
“Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”

この正式の日本語訳はありません。なぜならこの定義は正式採用には至らなかったからです。
定義変更はイスラムの影響の強い東地中海地域機関(EMRO)からの提案でした。多くの議論があったようですが、特にスピリチュアルについては宗教的な意味合いを避けたいという動きがあり、結局、総会での採択は見送られました。

一方、この頃からスピリチュアルは、緩和ケアの領域で盛んに使われる語になりました。緩和ケアで重視される「苦痛の除去」の苦痛とは何かが問題になってきたからです。苦痛は一般に、肉体的な苦痛、精神的な苦痛、社会的な苦痛の3つから成るとされてきました。WHOの健康の定義に出てくる3つの領域について苦痛も関連づけられていたのです。そこにスピリチュアル・ペインが入ってきました。第4の苦痛です。緩和ケアの現場でもスピリチュアル・ペインの存在と重要性が議論されるようになりました。

スピリチュアル・ペインを日本語でどう訳すか。「霊的苦痛」という訳語がまず提案されました。「霊的苦痛」の霊とは何か。精神的苦痛との違いは何か。さまざまな議論がありました。スピリチュアルのもとになる名詞はスピリットです。魂、霊などと訳されます。では魂とは何か。またもや霊とは何か。
宗教を深く信じる者にはスピリットも魂も霊も分かり、その苦痛も理解できるのかもしれません。しかし宗教と切り離して考えたいと願う者にはいまひとつピンとくるものではありませんでした。

結局、よい訳語はないとしてスピリチュアル・ペインのまま使うというのが大勢になりました。しかし私は納得できませんでした。本質が分かっていないから日本語訳を避けているとしか思えなかったのです。自分なりにスピリチュアル・ペインを理解しようと努めました。
議論の中でこういう意見がありました。
肉体的苦痛は鎮痛薬が有効である、精神的苦痛は抗うつ薬・抗精神病薬が有効である、しかし、スピリチュアル・ペインに有効な薬物はない。これがひとつのヒントになりました。さらに、東北大学緩和ケア科の山室 誠先生の「個人的には、「生きる価値」と「生きる意味」と「生きる目的」に関わる苦痛と苦難と理解するのが良いのではないか? と考えている」という解説に触発されました。
最終的に至った結論は、スピリチュアル・ペインとは「生きがいの喪失」である、でした。

「生きがいの喪失」は精神的苦痛とは異なります。「生きがいの喪失」に抗うつ薬も抗精神病薬も無効です。薬剤とは別のアプローチが必要です。スピリチュアルとは「生きがい」の形容詞だと気づいた途端、色々なものが見えてきました。スピリチュアル・ケアの在り方も少し分かるようになりました。
この体験を看護学校の総合医療論の講義で10年間、毎年伝えてきました(図)。

新学習指導要領に基づく高等学校保健体育の教科書を読んでいてハッとした理由はここにあります。
WHO総会で採択されなかった健康の新たな定義がこの教科書では採用されていました。しかも、スピリチュアルの語ではなく「生きがい」が健康の第4の構成要素であることが明記されていました。
誰がこの教科書を編纂したのかは知りません。日本で広く受け入れられている考え方なのかも分かりません。しかし、自分の考えは間違っていなかったことを高等学校の新しい教科書から学びました。

ただし、健康の定義は本当にこのままでよいのか、という疑問が私にはあります。一番の問題は “a state of complete physical, mental and social well-being”の中の“complete”の必要性です。仮に健康に4つの構成要素があるとしても、すべてが「完全に」満たされ、病気も障がいもない人などほとんどいません。この定義に従うと健康な人はほとんどいない、となってしまいます。今後は、病気や障がいを持っていても、“well-being”が不足していても、健康であることは可能だ、という見方が必要です。
ちなみに現在の日本WHO協会訳(上記)では“complete”は「完全」ではなく「すべて」という婉曲的な表現になっています。何らかの配慮をしているのかもしれません。
新しい教科書の図をよくみると、4つの構成要素はそれぞれ重なるように描かれています。4つすべてが重なる白い部分は非常に小さくなっています。「完全に重ならなくてもよい」というメッセージがあるように思いました。
EMROから追加の提案があったもうひとつの語“dynamic”(動的)の真意は私には今でもよくわかりませんが、「固定されずに動く健康の在り方」→「完全に重ならなくてもよい」を示唆しているのかもしれません。

 

図.講義プリントの抜粋(茨城県立中央看護専門学校「総合医療論」第1回の最後の授業。教科書は医学書院「総合医療論」2018を使用。自分の資料を適宜追加。スピリチュアル・ペインのスライドは10年間使い続けた)。