原著論文

当院内科病棟での新型コロナウイルス感染症クラスター発生は患者様・ご家族だけでなく、職員にも大きな影響を与えました。私の心にも重い影を落としました。
心が重くなると通常の診療にも影響が出ます。神経が昂り、声を荒げ、診断の見落とし、手技の不手際が目立ちました。珍しく不眠となりました。
そうした中で考え続けたのは、院内感染の私なりの総括でした。前回、看護部の総括を紹介しました(2022/9/12)。自分自身はどう総括すべきか。亡くなった方々への償いに何をすべきか。
考えた末に決心したのは、今回の経験を論文にすることでした。

単なる感想であってはなりません。反省を踏まえたオリジナルの論文であるべきです。査読を受ける学術誌は相当の新規性がないといけません。手元のデータを見つめ1つのテーマに「芽」を感じました。従来の知識・情報になかったからこそクラスターが生じたのではないか。その反省に立った新たな取り組みに価値があるのではないか。しかし、専門としてきた消化器外科とは異なる分野です。前途多難が予想されます。まず一歩を踏み出してみました。

学術誌を渉猟し適合する雑誌を見つけました。投稿要項に従って書き始めました。学術誌への投稿ですので相当数の文献を読まなければなりません。
原著論文投稿は久しぶりです。最後の投稿はいつだったのか。思い出せないほど昔のことです。

若いとき、論文作成にかなりの時間と労力をかけました。母校の附属病院在籍のとき(1970-1980年代)、文献は医学部の図書館に通って見つけました。日本語論文は医学中央雑誌(医中誌)、英語論文はIndex Medicusでまずタイトルを調べ、書架で該当の雑誌・著作を見つけてページをくくり、お金を払って自分でコピーすることを繰り返しました。図書館にない文献は受付に申し込んで取り寄せました。
当時、医学部図書館は午後10時閉館でした。病棟業務を夜8時までに終わらせ図書館に急ぎ、閉館まで粘って文献をコビーしました。
医中誌の索引は現在「アイウエオ」順です。明治に遡ると「イロハ」になります。膵臓(すいぞう)の索引は「イロハ」の最後です(イロハニホヘト・・・ヱヒモセス)。
Index Medicusは私が利用していた頃、20巻ほどだったと記憶しています。1巻は両手で抱えるほどの大きさと重さでした。Pancreas(膵臓)を調べるだけでなく、形容詞のpancreatic、接頭語のpancreatico-、さらにpancreatitis(膵炎)という疾患名もアルファベット順にチェックしていきました。照明が不十分な中、分厚い本の薄い紙の細かな字を追うのは若くても苦労したのを思い出します。
医局の自分の机に戻り、コピーした文献に番号を振り、メモを余白に書き込み、文献の束に重ねていきました。

現在の文献検索はオンラインで簡単にできます。多くは無料でダウンロード可能です。有料でもカード払いで簡単に入手できます。昔に比べれば文献検索が格段に楽になりました。変わらないのは文献を読んで内容を把握し、自分の論文に関係するかどうかの見極めです。今回、文献を読んで、昔と何か違うと感じました。昔は紙のコピーを読んでいました。今はPCの画面で読みます。もちろん画面をプリントすれば紙になるわけですが、どうしてもそれは省略します。しかし、文献が溜まってくると、あの内容はどの文献だったのか、と思ってpdfのファイルリストをひとつひとつ開いて探し出すのに苦労しました。昔の図書館通いに比べれば楽なはずなのに・・・。

論文発表に当たっては当院の倫理審査を受けなければなりません。論文の内容は年下の権威者にチェックをお願いしなければなりません。そのチェックが済んで、昨日ようやく投稿にこぎつけました。
投稿しても、あっ気なくボツになる可能性は高いと覚悟しています。それでも、どこかに、何かの形で残さなければ、申し訳ないと思うのです。

論文作成に使う時間は日常診療を犠牲にしてはならないと決めていました。したがって論文準備は平日の午後8時以降、土曜の午後5時以降、日曜・祝日で行いました。時間のあるかぎりこの1ヶ月間、論文作成にひたすら向き合いました。平日は午後10時近くまで病院に残って文献を読み、原稿を推敲しました。退勤カードを押すため夜遅く医局に行き当直医を驚かせることが度々でした。
ともかく、こうしてブログに戻る時間ができました。