女性目線の考え方

先週後半の4日間、日本内視鏡外科学会が現地とウェブのハブリッドで開催されました。私は病院勤務の合間にウェブで参加しました。時間が限られ、飛び飛びの参加でした。
主要な講演はオンデマンドであとからでも視聴できます。しかし、毎日の時間に余裕がありません。テレビの録画を視ることがほとんどないのと同じように、オンデマンドの学会講演をあとで視聴することはまずありません。ライブ配信で勝負します。
ということで、学会最終日の土曜日の朝、始業前に1つのセッションを視聴しました。勝負に選んだのは医工連携セッション3「女性目線の医療機器開発の課題」。「女性目線」というタイトルが魅力的でした。

期待通りの発表でした。そして、自分の時代遅れを恥じました。

外科の世界に女性が入ってくることには、以前からもろ手をあげて賛同していました。女性外科医と一緒に仕事をする機会もそれなりに多くありました。当然、男性・女性の区別など不要だと思っていました。
しかし、本当に女性外科医のことを考えていたのか。今回の発表を聴いて反省しました。

自動吻合器という器械があります(図参照)。
手術の最終段階で、腸を吻合する器械です。本体のハンドルを握りしめて吻合を完成させます。この吻合器は何社から発売されていますが、全て海外製です。どれも欧米の外科医の仕様になっていました。ハンドルの大きさ、全体の重さを考えると日本人とくに日本の女性外科医には不向きだと思っていました。重い、大きすぎる、片手では握れない、など問題が多くありました。

私には苦い経験があります。昔のことです。吻合までは完璧な手術でした。外科医不足で最後の吻合を自動吻合器で行うのは術野の外にいる彼女にお願いするほかありませんでした。経験はそれなりにあるのでお願いしました。完璧に器械を操作してくれた、と思いました。
全ての手技を終え、創を閉じました。その後、ガーゼや器具の遺残がないことを確認するためお腹のX線写真を撮りました。もちろん異物はありません。自動吻合器の金具(ステープル)も写っていました。そこに目を近づけて、愕然としました。吻合部の金具がきちんと閉じられていないのです。一部が中途半端に開いていました。最後の握りが力不足でできていなかったのです。創を再度開けて吻合をやり直すべきか、迷いました。しかし、再吻合はかなりのリスクを伴います。不完全な吻合は一部にすぎない、と自分に言い聞かせ、そのまま手術を終えてしまいました。あとから振り返ると、再吻合はしないまでもせめて吻合部の補強をすべきだったと思います。
5日後、縫合不全が明らかとなりました。その合併症は治るのに時間がかかりました。幸い無事に退院できました。
「やはり、女性にこの操作を行わせるべきでない」。
私の結論でした。この戒めを私はその後守り続けました。

今思えば、この態度は好ましいものではありません。
しかしどうしようもなかったのも事実です。
先日のブログで医療機器製造の問題を論じました(2021/3/4)。
海外メーカーに改良を要望しても聞き入れてもらえませんでした。
そのため、こちらはこちらで対策を講じる必要がありました。
その1つが、最後の吻合は女性外科医に任せてはいけない、というものでした。

これに敢然と異を唱えたのが今回発表の女性外科医たちでした。
女性目線で器械を改良する、それは女性・男性、人種を問わず手術の安全性に寄与することだ。その主張を重く受けとめました。
今は、スイッチを押すだけの電動式自動吻合器(縫合器)が開発されています。手振れもなく安定した確実な操作が可能です。女性外科医にとっても患者にとっても福音です。

根本的解決を先送りしてはいけない。今回のセッションを聴いて痛感しました。
ひょっとすると、医療のさまざまな分野、生活のさまざまな局面で、自分は逃げていないか。独断と偏見に囚われていないか。不安がよぎりました。