心不全パンデミック

パンデミックとは、先日のブログ(2020/12/3)でも紹介しましたように、一般には感染症の大規模な流行を指します。古くはペスト、11年前は新型インフルエンザ、今年は新型コロナがパンデミックとなりました。
しかし、パンデミックは必ずしも感染症に限りません。語義は「多くの人が罹患する疾患」、「広く蔓延する疾患」ですので感染症でなくてもよいはずです。
例えば、心不全パンデミック。

循環器の専門ではない私がこの言葉を初めて聞いたのは5年ほど前。茨城県北部の山間地にある地域中核病院でのことでした。当時、私はその病院の顧問を務め、折に触れて手術や会議に参加していました。若手医師の発表会を聴講することもありました。あるとき、ある研修医が研修の最後の総括発表として取り上げたのが心不全でした。
心不全を治療して退院させたところ、まもなく心不全の再燃で再入院してきた。治療するとよくなるが、しばらくするとまた悪化する。そのため入退院を繰り返しているとのことでした。
研修医は「心不全パンデミック」が循環器の領域では問題になっていると報告しました。以前は心不全になれば早くに亡くなっていたのが、治療の進歩で急性期を乗り切れるようになった。しかし、心臓そのものの障害が治ったわけではないのですぐにまた悪化してしまう。その繰り返しなのだというのです。問題なのは、心不全は高齢になるほど、長く生きれば生きるほど、多く生じるということです。となると高齢化社会では循環器の病床は心不全の患者でいっぱいになって、心筋梗塞などの急性期循環器疾患にベッドや医療資源が回せなくなってしまう。その危機感から心不全パンデミックという言葉が出てきたとのことです。
当時の私は外科医でしたから、人ごとのように聞いていました。

埼玉の今の病院に総合診療医として勤め始めると、私自身が心不全を診るようになりました。循環器疾患について私は初学者。心不全の診療と言われても知識も経験も不足です。幸い私には心強いメンターがいます。西永副院長です。循環器が専門ですので心不全に限らず、不整脈でも心筋梗塞でも的確なアドバイスをしてくれます。循環器に限らず様々な内科疾患の要点も教えてくれます。
私がこの病院に赴任するかどうか決めるために初めて訪れたときのことを以前ブログに書きました(2019/7/5)。N先生の老年病学・内科学・総合診療学への造詣の深さに感嘆したと書きました。N先生とは西永副院長のことです。その印象は間違っていませんでした。

先月下旬、地域連携講演会がウェブで開催されました。当院からは私と西永副院長が参加しました。テーマは心不全。
専門外の私が開会の辞を述べ、さいたま市民医療センターの百村伸一病院長(自治医大さいたま医療センター前センター長)の講演の座長を務めることになりました。全くもって分不相応の役割ですが、色々な事情からこのようなことになりました。
百村先生は循環器の専門家らしく心不全の新しい考え方、心不全パンデミックの現状、新しい心不全の治療法を分かりやすく説明してくださいました。さらにパンデミックの制圧には心不全の予備軍あるいは早期(ステージA・B)において早めにリスクを下げることが重要だと強調されました。心不全診療に対応する地域連携システムの構築を目指しているという心強いアナウンスが最後にありました。

当院の西永副院長の発表はこうでした。
心不全は心筋梗塞や心筋症などさまざまな病態(基礎疾患)で生じます。共通するのは、ポンプの役割を担う左心室が十分な機能を発揮できなくなる左室機能不全です。ただでさえ年をとるとポンプ機能は落ちますが、感染症や不整脈、あるいは水分・塩分の過剰摂取が併存すると心臓の機能は一気に落ちてしまいます。そうすると血液を送ることができなくなり、心不全の状態となります。心不全になると筋力が低下し、日常生活動作(ADL)ができなくなり、意欲も低下して心不全がさらに悪化する悪循環に陥ります。最終的には寝たきりになってしまうのです。
これを打破する方法はないだろうか。西永副院長のグループは、心不全などを持つ高齢者を「医学的・身体的・精神心理的・社会的に評価」すること、すなわち「総合機能評価」により、個々の患者の最適な医療・ケアを目指すことができるのではないか、患者のみならずその御家族の「生きる力」を向上させられるのではないか、という仮説を立てました。そして、これを具現化するのは「チーム医療」だと考えました。すなわち、主治医・看護師・薬剤師・管理栄養士・リハビリ療法士・ソーシャルワーカー(MSW)らとの協議で導き出される方針決定が重要だ、ということになります。
研究グループは東京都老人医療センター(現 東京都健康長寿医療センター)で臨床研究を行いました。この「チーム医療」を行った病棟(介入病棟)と行わなかった病棟(一般病棟)とで高齢心不全患者の再入院の割合をみると、退院後100日以内では 21%対41%、退院後30日以内では1.5%対17%と大きな違いが生じることを証明しました。

私は以前から、さいたま記念病院の多職種連携の素晴らしさを喧伝してきました(2019/5/10・2020/11/24ブログ)。多くの病院に勤めましたが、これほどの多職種連携を見たことがありません。なぜ、この小さな病院でこのような多職種連携が日常診療の中で行なわれているのか、不思議でした。それが今回の西永副院長の発表で分かりました。高齢心不全患者の臨床研究に基づいていることを遅ればせながら知ることとなりました。

今回の講演会で心不全パンデミックへの対応は、地域医療機関同士の連携と、病院内での多職種間の連携の両方が重要だと認識しました。
さらに、感染症のパンデミックで重視されている予防が、心不全パンデミックでも基本になるということも知りました。心不全の防止に高血圧・心筋梗塞・不整脈などの循環器疾患の予防がまず大切ということになります。さらに循環器疾患の予防には、禁煙、運動、体重管理、節酒、減塩が重要です。これは脳卒中、CKD(慢性腎臓病)、糖尿病、がん、認知症など広い意味でのパンデミックの予防・リスク軽減とも共通することです。
生活習慣の重要性にもあらためて思い至りました。