心臓移植

遺伝子改変ブタの心臓の移植を受けたアメリカの男性が亡くなりました(図は2022/3/10夜のNHKニュースから)。術後2カ月ほどのことでした。期待をしていただけに残念です。彼の死が無駄にならず、医学の新たな進歩に繋がることを願ってやみません。

前任地の茨城県で心臓移植について書いたことがあります。雑誌「常陽藝文」に連載した医学入門番外編の第9話です。許可を得て再掲します。4年前の文章ですので現状とは少し異なる内容になっているかもしれません。臓器移植を考えるきっかけになれば幸いです。
なお図4の写真については再掲の許可が間に合いませんでしたので割愛します。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
医学入門番外編9
移植・倫理の話題から 〜心臓移植〜

昨年(註:2017年)12月、世界初の心臓移植から50年の式典が南アフリカで開かれました。その小さな新聞記事で私は昔を思い出しました。

1967年12月3日、ケープタウンの病院でバーナード医師が交通事故で脳死状態となった若い女性の心臓を50代男性に移植しました。大学1年の私はこのニュースに興奮しました。アメリカの写真誌LIFEの同年12月15日号の表紙ではバーナード医師がベッドの患者に話しかけ、患者は笑みをカメラに向けていました(図1)。この患者は雑誌の発行6日後に亡くなります。

1968年8月8日、札幌医科大学和田教授が日本初の心臓移植を行いました。海で溺れた青年を脳死と判定し、移植以外に治療がないという10代後半の心臓病の少年に青年の心臓を移植したのです。2カ月後の10月10日「心臓移植」という本が地元で発行されました(図2)。当時の厚生大臣と北海道知事が序文を寄稿し、若い研究生は「末広がりの8の数が3つならんだこの日に新しい一歩がしるされ、これに参加できた。幸運だった」と記しています。同じ大学の整形外科講師だった作家・渡辺淳一氏も賞賛の手記を載せました。この患者は本の発行19日後に亡くなります。

バーナード医師も和田教授も患者の死後、脳死判定と手術適応を批判されました。バーナード医師に対しては、2例目の心臓移植が良好に経過したこともあって批判は薄らぎましたが、和田教授については、脳死判定も手術適応もずさんなことが判明し、刑事告発を受けました(不起訴)。2つの心臓移植は、1968年に吹き荒れた大学紛争・ベトナム反戦運動の思い出とともに、二十(はたち)の私に重い教訓を残しました。外科医よ、マスコミよ、奢るなかれ!

その後、臓器移植は海外で飛躍的に発展しました。脳死が社会に受け入れられ、新しい免疫抑制薬の登場と相まって、心臓死では使えない心臓や肝臓が脳死のかたから積極的に提供されるようになりました。日本では和田移植が影響して脳死の議論に時間がかかりました。肝臓では脳死肝移植を諦め、家族から臓器の一部をもらう生体肝移植が日本で普及しました。

1997年に念願の臓器移植法が成立し、脳死がようやく法律で認められました。「15歳以上で臓器提供の意思が書面で確認でき家族の承諾も得て臓器移植をする場合に限り脳死を人の死とする。そうでない場合は従来通り心臓死をもって人の死とする」とされました。多くの国が「年齢制限なしに全て脳死をもって人の死」としているのと対照的です。いずれにしても脳死と手術適応が確立し心臓移植は1999年に日本で無事再開できました。ところが脳死からの臓器提供者(ドナー)は毎年数名〜10数名に過ぎず、子供のドナーは当然いません。多額の寄付を募って海外で移植を受ける患者は減りませんでした。どの国もドナー不足なのに、です。国際移植学会は日本を非難しました。

これを受け2009年、臓器移植法が改正されました。本人の意思が不明な場合は家族の意思が尊重され、15歳未満でも臓器提供が可能となりました。
以後、脳死ドナーは年間50〜70名と増えました。親の尊い志で子供のドナーも少数ながら出てきました。しかし人口100万人当たりのドナー(脳死+心臓死ドナー)の年間数では日本は世界の最下位グループにいます(図3)。それでも20年間の脳死ドナーは計530名(2018年4月末)。茨城県からは6名だけです。人口比で言えば13名いてもよいはずです。多くの県民が臓器移植に関心を持ち、できれば臓器提供の意思を示していただきたいと願います。茨城県には県臓器移植コーディネーター、県内の多くの総合病院には院内臓器移植コーディネーターがいます(図4)。迷ったらぜひ相談してみてください。

図1.LIFE 1967年12月15日号の表紙(筆者蔵書)。「ヒト心臓の贈り物」、「死ぬ運命の男性が死んだ少女の心臓で生きる」の見出しが並ぶ。

図2.北海タイムス社編の単行本「心臓移植」(1968年10月10日発行)の表紙と背表紙(筆者蔵書 ©️誠文堂新光社)。日本初の心臓移植が行われた当日の地元新聞夕刊1面を取り入れた装丁となっている。

図3.2015年における各国の人口100万人当たりの臓器移植ドナー数(n=実数)(Global Observatory on Donation and Transplantation 2017)。トップ3はクロアチア、スペイン、アイスランドが僅差で並ぶ。次いでベルギー、ポルトガル、アメリカと続く。韓国は中位にあり、ほぼ全例脳死ドナーである。中国は下位にあり大半が心臓死ドナーである。日本は最下位グループにあり、人口100万人当たり0.7名のドナー数にすぎない(実数は91名)。図を拡大すると分かるように脳死:心臓死の割合はおよそ2:1である。日本臓器移植ネットワークによると2015年の脳死下提供は58件、心臓停止後提供は33件、合計91件となっている。心臓停止後提供の臓器は全て腎臓で、眼球(角膜)・皮膚・血管などは臓器とみなされない点に留意。

図4.茨城県臓器移植コーディネーターの小川直子さん(右)と茨城県院内臓器移植コーディネーターの渡邊敏江さん(左)(国立病院機構水戸医療センター移植医療研究室にて)。グリーンリボンは移植医療の世界共通シンボル。小川さんは5年前に看護師を辞めて現職に就き、茨城県内で発生した脳死下臓器提供6例全てに関わった。「提供を希望される患者さんやご家族の想いが叶えられる茨城県になるよう頑張りたい」と語る。渡邊さんは茨城県立中央病院で看護師を勤めながらさまざまな移植の相談にのっている。この7年間に心臓停止後の腎臓提供2例、献眼(角膜提供)6例に関わった(うち1例は腎臓と角膜を提供)。がんのため緩和ケア病棟に入院していたかたが心臓停止後に献眼されたとの話が印象的だった。