性(ジェンダー)の問題

LGBTQ+、同性婚、女性蔑視発言など、性(ジェンダー)を巡る話題が日本でも増えてきました。
ここでは、まず言語の性を扱います。

英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・ロシア語・サンスクリットなどインド・ヨーロッパの言語には共通の祖先があります。インド・ヨーロッパ祖語と呼ばれます。今から5千年〜1万年前のこの祖語の特徴の1つは「名詞には性がある」でした。その流れを汲む現代の言語でも性は残っています。例えばドイツ語では女性・男性・中性の3つの性があります。フランス語・スペイン語は女性か男性になります。英語は早くに性を失い、女性名詞・男性名詞の分類はありません。

例えば、学生は英語で男女ともstudent。1つしかありません。ドイツ語は男子学生であればStudent(シュトゥデント、複数形Studentenシュトゥデンテン)、女子学生であればStudentin(シュトゥデンティン、複数形Studentinnenシュトゥデンティネン)と使い分けます。医師は男性ならArzt(アールツト、複数形Ärzteエールツテ)、女性ならÄrztin(エールツティン、複数形Ärztinnen エールツティネン)です。患者は男性ならPatient(パツィエント、複数形Patientenパツィエンテン)、女性ならPatientin(パツィエンティン、複数形Patientinnenパツィエンティネン)となります。英語なら医師はdoctor、患者はpatientで、性別によって呼び方が変わることはありません。複数形も語尾に「s」をつけるだけです。

「私の医師(複数)は」を英語で言うと「my doctors」ですが、ドイツ語だと「meine Ärzte und Ärztinnen」となり、どうしても長たらしくなります。
それがドイツ語らしい、と言えば確かにそうです。しかし、無駄と言えば無駄のようにも思えます。
最近のドイツの雑誌を読んでいると、複数の医師を表すとき「Ärzt*innen」という表記を見かけるようになりました。男女平等の考え方が反映されているようです。文章をスッキリさせるための工夫のようにも思えます。
「*」はGendersternchen(ジェンダー星[アステリスク])と呼ばれます。「*」の代わりに「/」(スラッシュ)や「_」(アンダーバー)が使われることもあります。
単数形の場合はどうなるでしょうか。
男性医師の単数形はArzt、女性医師の単数形はÄrztinです。「¨」(ウムラウト)の有無で頭文字が異なります。ジェンダーに配慮して「*」を使って表記すると、「Ärztin*Arzt」となります。そうなると「*」は単に「und」(英語のand)と同じになります。「und」と書く代わりにその略号である「u.」を使った方が私には馴染みがあります。
「*」を使ってスッキリさせようとしても、単数形に定冠詞がついたときは複雑になります。「その医師(単数)は」をジェンダーに配慮して表記すると「die*der Ärztin*Arzt」となります。格好悪いと言わざるを得ません。

ドイツ語でジェンダーに配慮しながら「あの人の犬(単数)」はどう表記するのでしょうか。
「彼の犬(オス)」なら「sein Hund」、彼の犬(メス)なら「seine Hündin」、
「彼女の犬(オス)」なら「ihr Hund」、彼女の犬(メス)なら「ihre Hündin」。では、オスもメスも含めて「あの人の犬(単数)」を表記する場合はどうなるでしょうか。
「Das Genderwörterbuch」(ジェンダー辞書)というウェブサイト¶にはオス犬についてこう表記しています。「sein*ihr Hundまたはihr*sein Hund」。(¶https://geschicktgendern.de/gendersternchen-anwenden/)
メス犬も加わったときどう書くのかまでは載っていません。私なりに考えると、「ihr*sein*e Hund*Hündin」となるのかもしれません。現代ドイツ語に詳しい人、教えてください。

英語は名詞の性を失ったあとも、三人称単数の代名詞には性が残りました。上の例だと「his/her dog」になります。犬が複数になっても「his/her dogs」となるだけです。ドイツ語の例で頭が混乱してくると、英語の「his/her dog(s) 」は実にスッキリした感じがします。

それでも英語圏は、LGBTQ+の時代に三人称単数の呼称をどうすればよいか悩んでいます。あらかじめ本人にheなのかsheなのかthey(後述)なのか、を聞いておくのがよいとされます。
ジェンダー・ニュートラルな単数代名詞を創る試みもなされています。「he/she、him/her、his/her、himself/herself」に代わって「zie、zim、zir、zieself」や「ey、em、eir、eirself」、「ve、ver、vis、verself」などが提唱されてきました。しかし、盛り上がりは今一つです。比較的支持を得ている(支持を得るのではないかと言われている)のは「singular they」です。通常「they」は三人称複数の代名詞ですが、これをジェンダー・ニュートラルに単数形で使おうというのです。「あの人はここにいますよ」は「they is here」となります。
難しい時代になったと感じます。

代名詞以外でも性別に関連すると言われる言葉があります。
例えば英語の「manhole(マンホール)」。「man」は男性を表すので、ジェンダー配慮の観点から「maintenance hole(メンテナス・ホール)」に言い換えるという話があります。「manpower(マンパワー)」は「workforce(労働力)」、「policeman(警官)」は「police officer(警察官)」に変わっています。国際学会では座長(議長)のことをかつては「chairman(チェアマン)」と呼んでいました。当然、女性が座長(議長)を務めることもあるわけです。「chairperson(チェアパーソン)」にやがて変わりました。あるいは「moderator(モダレータ)」と言い換えるようになりました。人類を意味する「mankind(マンカインド)」は「humankind(ヒューマンカインド)」に変わりつつあります。
英語で「皆さん」という呼びかけは「Ladies and Gentlemen」でした。こうしたジェンダー縛りはやめようという機運が高まり、「Dear, Guests」、「Hello, Folks (Everyone)」という挨拶になってきたそうです。
こう考えていくと、日本語には性(ジェンダー)の問題はなく、単数・複数も意識しなくて済みます。なんと便利な言語ではないか。そう思わずにはいられません。

しかし、男女の区別を表す言葉・職名は日本語にもあります。「ありました」と言ったほうがよいかもしれません。例えば、私の医師駆け出しのころは「看護婦」でした。その後、男性の看護師もいましたが、「看護士」と呼ばれていたように記憶しています(特に精神科病院)。私が医師になって28年後の法改正で「看護師」に統一されました。施行は2002年ですので、さほど昔のことではありません。同じ法改定で「助産婦」も「助産師」になりました。しかし「助産師」に変わっても男子禁制は同じでした。海外には男性助産師がいるのに日本では新しい法律でも男子禁制のままです。
保健師助産師看護師法(平成13 [2001]・法153・改称)にはこう記載されています。
「第三条 この法律において「助産師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、助産又は妊婦、じょく婦若しくは新生児の保健指導を行うことを業とする女子をいう」。

私は県立の看護専門学校の学校長を7年勤めました。看護学科2年課程・同3年課程とともに助産学科がありました。看護学科2年課程と3年課程の講義は受け持っていました。しかし助産学科の担当はありませんでした。
「学校長としては、助産学科の授業を聴講しないといけない」。
赴任直後、助産学科の主任の許可を得て授業を聴講しました。学生はもちろん全員女子。教室の最後部の席に座ると独特の雰囲気が漂っていました。
びっくりしたのは授業の内容でした。性教育とは全く違うレベルの「すごい」内容でした。授業が始まって15分。学生は熱心にノートを取っています。講師はプロ中のプロの助産師。身振り手振りを交えながら、白板に図を描きながら、生殖器の解剖から男女の交接、生命誕生までのプロセスを「赤裸々」に講義していきました。眠る学生はひとりとしていません。教室の中で唯一の男性は私です。やがて居づらくなりました。
授業が始まって30分。あと60分聴き続ける勇気も忍耐も失せました。そ〜と教室を脱け出ました。
男子禁制のままでよいのか。その疑問を捨てたわけではありません。相当の覚悟が男性にないと今の日本では男性助産師は難しいと感じました。

翻って産婦人科診療を考えると、女性医師が増えたとは言え、男性医師がこの分野を牽引してきました、今も牽引しています。これは間違いない事実です。
なぜ、男性助産師が誕生しないのか。

ここまで書いてきて、性(ジェンダー)の問題は複雑だ、奥深い、と気づきました。
とても疲れました。
これにて失礼します。