救急車のサイレン

救急車のサイレンが騒音だという意見があります。(救命)救急センターを設置している病院の近くの住民にとって深刻な問題だという話も聞きます。
前任地の病院は救急車を積極的に受け入れていました。近くに住む人が「夜中のサイレンで目を覚ましてしまう、目が覚めるともう眠れない」とこぼしていたことがあります。「人の命がかかっているので文句は言いたくないが・・・」。俯いての発言でした。

救急車などの緊急自動車は緊急走行中、サイレンを鳴らし、赤色の警告灯をつけることが法令で義務づけられています。音量は「前方20メートルの位置において90デシベル以上120デシベル以下」と定められているとのこと。夜間の住宅街でも、歩行者や自転車などの通行が考えられ、事故防止のためにサイレンで注意喚起をする必要がある、とされています。

海外ではどうなのでしょうか。
インターネット上にはサイレンの音の比較がよくみられます。しかし、救急車のサイレンが騒音になるのか、という議論は調べた限りでは見つかりませんでした。

私のアメリカでの経験がひょっとすると議論に役立つかもしれません。正確に言うと、アメリカ本土ではなく、サイパン島での経験です。サイパンはアメリカ合衆国の自治領である北マリアナ諸島の1つの島です。アメリカ共通のルールが適応されているのかは定かでありません。

経緯を述べます。
前任地の県では戦争遺族や関係者が戦跡地を巡る慰霊の旅を定期的に催していました。私も同伴した旧満州(中国東北部)のほかにも、別の医師が付き添って東南アジアやパプア・ニューギニアなどに行っていました。ある年、私は中部太平洋戦跡巡拝団の同行医師として看護師1名とともに参加しました。
日本兵1万人余が玉砕したパラオのペリリュー島のあと、最終日にサイパンのバンザイ・クリフ(万歳をして日本の兵士・民間人が身投げした岬の崖)を訪れました。その夜、ホテルで打ち上げのパーティが開かれました。明日いよいよ帰国だとの威勢のよい乾杯の直後、1人の参加者が倒れました。
ただちに部屋に運び同行の看護師と一緒に診察し、とりあえず日本から持ってきておいた点滴を入れました。現地の病院への搬送が必要だと判断して救急要請を依頼しました。待つこと約10分、数名の救急隊員(パラメディック)が到着しました。状況を話し、救急病院への搬送をお願いしました。
隊員から、お前は誰だ、と聞かれました。なぜ点滴が入っているのか、とも聞かれました。簡潔に事情を述べ、私は患者と一緒に救急車に乗り込みました。
患者は受け答えができ「大丈夫だ」と言ってくれました。しかし話し方が緩慢でした。
救急車が出発してすぐ気付きました。サイレンが鳴っていないのです。
なぜ鳴らさないのか。救急隊員に聞きました。
「必要か?」。聞き返されました。
言っている意味が分からず、「どういう意味か」と問いました。
「一刻を争うときは鳴らすが、今はそれが必要か?」。
そう言われれば、患者は一応受け答えができています。一刻を争うか、と言われれば必ずしもそうではないかもしれません。
「OK」などと曖昧に答えると、そのまま静かに病院に向かいました。
まもなくサイパン唯一の病院(Commonwealth Health Center Saipan)に着きました。到着直前、患者は意識を失いました。CTで脳出血が判明しました。

サイレンを鳴らして急送しても結果は同じだったようです。なぜなら病院の当直医は2人体制でしたが、脳神経外科医はそもそもその病院には在籍しておらず、オンコールで呼び出すこともできなかったからです。脳出血の手術適応は当直医には分からず、フィリピンのマニラに患者を送るという話が出たとき、 私は許可を得てCT画像を日本の知り合いの脳神経外科医にメールで送って判断を仰ぎました。その結果、手術適応なし、となりました。数日後、国境なき医師団の協力で日本に搬送しました。

つらい体験でした。
せめてこの体験が救急車のサイレンの議論の参考にならないものかと思います。時間帯や道路状況、さらに重症度に応じてサイレンの音量を変えたらどうかという提案です。議論を期待します。