日本における鋼製医科器械製造の現状と将来

「鋼製医科器械(こうせいいかきかい)」と聞いて皆さんは何のことか分かるでしょうか。
一言でいうと、手術で使うハサミ・ピンセット・鉗子(かんし)類を指します。鋼製小物(こうせいこもの)とも言います。
こうした手術器械を製造する会社の全国規模の組合が「日本鋼製医科器械同業組合」です。加盟の会社は63社とのこと。最盛期には300社近くあったと言います。激減です。しかも、63社のほとんどが1社1人。さらにその個人製造者が超高齢化しています。後継者はほぼいません。ということは、日本で手術の鋼製小物を作る人がいずれいなくなる恐れがあります。
それでいいのか。
危機感を持つ人たちがいます。しかし危機感を持っているのは、実は外科医ではありません。外科医はそうした事実を知りません。危機感を持っているのは鋼製小物そのものを作っている人たちなのです。

もし「ハサミやピンセットは何でもいいではないか」と言う外科医がいれば、その外科医は本物ではありません。
例えばハサミ。
重さ、先の細さ、先の曲がり具合、切れ味、取っ手の長さ、指穴の位置・大きさ。キリがありません。手術にこだわりを持つ外科医ほど、鋼製小物に注文をつけます。その注文に応じる、突き詰めればそれを作れる日本の職人が、やがて消えてしまう、というのです。
愕然としました。

実情を知るべく都内の現場を視察しました。
一人親方の工房をまず見学しました(図1・2)。親方は15歳からハサミ・鉗子・鋭匙(えいひ;病巣や骨を引っ掻いて除去する器具)を作り続けて65年、現在80歳です。後継者はいません。注文は徐々に減ってきていても数十本単位で今でも注文が入るとのことです。
4畳半ほどの工房にはさまざまな機械が所狭しと置かれていました。外注した鍛造(たんぞう;荒造りの原型)を削って成形し、磨いて完成形に仕上げていくのに必要な機械です。
「ほら、この指は機械に巻き込まれて短くなってしまったのだよ」。
無骨な左右の手を並べて見せてくれました。

数十人規模の職人がいる別の会社も見学しました。業界トップクラスとのことです。ここにはマイスターの称号を東京都から与えられたベテランがいましたが、30歳代の若手職人もいました(図3)。一室ではコンピュータによる器械の設計も行っていました。注文は減っていない、必要な鋼製小物は作り続ける。心強い3代目社長の言葉でした。

危機感を持った鋼製医科器械製造の関係者が質問を私に次から次へとぶつけてきました。

Q1.外科医としてこの現状をどう思うか。
A1.そもそもこのような危機的状況を知らなかった。驚いている。

Q2.国産の鋼製医療器械の必要性はあるのか。
A2.腹部外科では、大切開の手術から内視鏡手術に大きく変換しており、大切開の手術で使うハサミやピンセット、鉗子への関心が小さい。特に若い外科医は大切開手術に使う器械には興味を持っていないようだ。今の外科医の手術経験は内視鏡手術から始まっており、大切開の手術を経験することが少なくなってしまった。しかし、大切開の手術は決してゼロにはならない。そのため大切開で使うハサミや鉗子を知っておく、ときには改善を製造者に要求する、という過程は絶対に必要だと思う。海外製は品質の不安がある。体格の違いから日本人には合わないことが少なくない。しかも、我々日本の外科医の要望に応えてくれる海外メーカーはほとんどない。我々の要望に応えてくれたのは日本のメーカーだけだった。

Q3.鋼製医科器械の製造技術を伝承していくにはどうしたらよいか。
A3.内視鏡手術がそれほど浸透していない整形外科や脳神経外科では鋼製小物が今でも必要不可欠の道具である。こだわりの外科医も多いはずだ。そうした分野の外科医の意見を聞いたらどうか。腹部外科では内視鏡手術がかなり浸透しているが、どんなに浸透しても大切開手術が廃(すた)れることは絶対にない。若い外科医も内視鏡手術だけをしていればよいわけではない。大切開手術で使うハサミや鉗子の使用方法に慣れておくべきだ。慣れれば当然、もっとこうあるべきだと考えるはずだ。一方、若手の職人を育成する工夫が鋼製医科器械製造の業界には求められる。若手の外科医と若手の職人が直に接する場を作ってみたらどうか。従来は、大学の教授が販売会社の一部と話し合うだけだった。そうではなく、現場の若い者同士で交流してみたらどうか。

出来のよい鋼製小物は、まさに芸術品です。無駄のない美しさがあります。輝きを放っています。しかし、刀剣のように眺めるだけの芸術品ではありません。手術への実用があります。
長年お世話になった鋼製小物の将来を真剣に考える時間でした。

(図1の机上の小物は鋭匙(えいひ)。図3で作製しているのはゴッセ式開創器。どちらも、分かる人には分かる。分かる外科医の年齢も分かる。)