昨日の新聞各紙の朝刊はOECD学力調査の結果を一斉に報じていました。見出しで目立ったのが「日本の15歳、読解力15位に急落」、「学習でのIT活用、世界に遅れ」の2つでした。私が読んだ新聞2紙とも社説で取り上げ、関連記事が6本もありました。マスコミにとって、あるいは教育界にとって、よほど衝撃的なニュースだったようです。

そもそも読解力とは何か。今回の発表の元になった2018年の読解力問題の1例が文部科学省・国立教育政策研究所から公表されています(2018年調査問題例 読解力問題)。ラパヌイ島(=イースター島)の巨石モアイ像についてのブログ、書評、科学ニュースの3つの文章が出てきます。文章はどれも大変興味深いものです。内容に引き込まれました。
そして、第1問「ブログによると、教授がフィールドワークを開始したのはいつですか。」
「えっ?!」
思わずのけぞりました。そんなのどうでもいいじゃないか。初めから読み直し、一字一句指でなぞって行くと、ありました。「この九か月間調査してきたモアイ像とお別れをしようと思います。」答は9か月前。
これって読解力?!強いて言えば、注意力でしょうか。ただ、出てくる数字にとらわれる読み方は私としては推奨しません。そもそも、横書きなのに9ではなくなぜ九なのか、算用数字だと目を引いてすぐ解ってしまうから目立たないようにわざと漢数字にしたのではないか。英語の問題文も9ではなくnineなのか。変な勘ぐりが生じ、文章が楽しめません。

第3問「下の文は事実または意見のどちらですか。」正答が事実とされた文は次の2つです。

試験に慣れた優等生ならこの2つが事実だと答えるでしょう。しかし、私が読むと、「身近にあった天然資源を使って」は本当(真実)なのか示されていないように思います。なぜならその文が載っている書評の書き出しは、「著者によると」となっています。あくまでも著者の意見です。となるとこれは事実ではなく意見が正しいということになります。また、2つ目の文「1722年に・・・・・森は消滅していた」は本当に事実なのか、と問われると、あくまでも著者がそう言っているだけです。さらに言えば評者がそのように読んだというだけで、著書に本当にそう書いてあるか私たちには確かめようがありません。それなのに「事実」としてあっさり言い切ってよいのか、疑問です。とくに1722年がでてくると、1721年でも1723年でもない、これは事実か、となります。医師や科学者、歴史学者は常に疑いの目を持って文献を読みます。中傷誹謗の飛び交うICTの時代こそ、ファクト・チェックが求められます。
うるさいことを言わずに、先ほどと同じく、こうした問題に対しては「事実だ」とするのが受験テクニックであることは百歩譲って認めましょう。
しかし、学力とか読解力というのは決してそういうものではない。私はそう思います。
IT活用については別の機会にお話しします。