明治の男

私の父は明治41年(1908年)岐阜県苗木町(現 中津川市)に生まれました(2019.9.12のブログ参照)。地元の小学校を卒業後、恵那中学、松本高校に進み、京都大学医学部で学びました。
医学生のときのノートが約80冊、実家に残されています。片付け上手な母が大切に保存していたと思われます。実家の都合で処分されると聞き、10冊だけもらってきました。
解剖、生理、病理、生化学、法医学、小児科、産婦人科、整形外科、内科臨床講義、外科臨床講義。各科目は私が昭和の後半で学んだときとほとんど変わりがありません。大きく異なるのは、医学用語が全てドイツ語だという点です。

「外科臨床講義 鳥潟教授」と書かれたノートの一部を示します(図上)。
ちなみに鳥潟隆三(とりがた りゅうぞう)京都大学教授は当時の外科の泰斗でした。東京大学腫瘍外科の故 渡邉聡明 前教授によると、マイルズ手術と呼ばれる直腸切断術は実は鳥潟先生が世界最初に行ったとのことです。

父の書いたカタカナ混じりのドイツ語を訳すと次のようになります(一部、推測あり)。
64 Lj (Lebensjahre:歳) Mann(男性)。Ulcus cancrosum(がん性皮膚潰瘍)
HK(Hauptklage:主訴)
V.g.(Vorgeschichte:既往歴)13Lj(Lebensjahre:歳) r. Malleol ext(右外果部)Verbrennung(火傷)narbig(瘢痕状)ニheilen(治癒)ス。
J.L.(jetziges Leiden:現病歴)10年前誘因ナクシテNarbe(瘢痕)ノアトgesch(würiger) Zerfall(潰瘍状に崩落)シGang Besch(werde)(歩行苦痛)ナリ。geschwürig(潰瘍状)ニ広(ク)rasch(急速)ニzunehmen(増大)シ現在ニ至ル。現(在)Gangstör(ung)(歩行障害)、spontan Schmerz(自発痛)。
S.P.(Status praesens:現症)r. Malleol ext(右外果部)カラäussere Fussrand(外側足縁)ニ1ツノGeschwür(潰瘍)アリ。Hautniveau(皮膚面)カラハ余リ高マラナイガ少シerhoben(膨隆)シテヰル。

現在の臨床講義はプリントとスライドで行われます。しかし、当時の臨床講義は大学病院に入院中の患者が講堂に入ってきて学生に患部を見せる形をとっていました。プリント資料が配布される訳ではありませんので、教授の言葉を一字一句漏らさず書いていったようです。しかも美しいペン字です。書き直しもなく一気呵成に書いています。
父の残した80巻は立派な医学教科書だと言えます。

Anatomie Prof. Kihara(解剖学 木原教授)と記されたノートを手に取ってみました。
頁をめくっていて、思わず笑ってしまった箇所に行き当たりました。
上肢解剖の項目です(図下)。
腕と手のスケッチが添えられています。腕は太すぎるし、指は短く、しかも4本。
稚拙な絵だというので笑ったのではありません。
こんな思い出があるからです。

私の無給医局員時代のことです。
埼玉県飯能市で外科医院を開業していた父は後年、母を連れて海外旅行によく出かけていました。「秀雄、留守を頼むぞ」と言って出かけて行きました。
無給医局員でしたからバイトで稼いでいました。急に実家の外科医院の留守番、しかも1週間程度の留守番を頼まれてもさほど問題なく引き受けることができました。
代診をしていたある日のこと、父によって縫合された傷の抜糸のために患者が診察室に入って来ました。カルテの絵を見て、「足を見せてください」と視線を床に落としながら私が言うと、患者はびっくりした声を出しました。
「手ですよ。」
呆れ顔です。私こそびっくりしました。
だって、指は短く、どうみても「足」です。
「親父よ、もうちょっと手らしく描いてよ・・・」
苦笑して抜糸をしました。

怒りっぽく、頑固で、どなってばかりいて、それでいて憎めない父でした。