先週土曜日、自治医大消化器一般移植外科の同門会「一刀会」が宇都宮市で開かれました。幹事会が終わり総会の開会を待っていると、初代教授の森岡恭彦先生(自治医大名誉教授・東大名誉教授・日赤医療センター名誉院長)が私の隣に座られました。幹事会を欠席されて総会に来られたので理由をお聞きすると、「今日50年ぶりに研究発表をして来た」とのこと。来年卒寿(90歳)のはずです。驚きました。
「何の発表だったのですか。」
「11年前の医師国家試験に『治すこと時々、和らげることしばしば、慰めることいつも』と言ったのは誰か、という問題が出たんだ(図1)。厚労省の正解は近代外科学の父アンブロワズ・パレなんだね。近代外科学の父と呼ばれるのはパレで間違いないけど、パレはこの言葉を使っていない。色々調べると、多くの人がパレの言葉だと引用しているんだね。そこで、パレだと言い始めたのは誰かを調べたら、面白いことが分かった。それを今日、日本医学史学会(月例会)で発表して来た。」

『治すこと時々、和らげることしばしば、慰めることいつも』は、『治すことはなかなかできないが、慰めることはいつでもできる』という意味で、全人的医療の心を表すとしてよく使われるそうです。私は知りませんでした。

パレの言葉で有名なのは、『我は処置す、神が癒し給う』です。
『自分は処置をしただけです。治してくださるのは神様です。』
外科医として謙虚な姿勢を示す言葉としてよく知られています。

この『我は処置す、神が癒し給う』を私に教えてくださったのは森岡先生です。先生は、フランス政府給費生として留学された後、フランスの外科学や医の倫理を日本に紹介するようになりました。また、近代外科学の父と呼ばれるアンブロワズ・パレの業績を日本の外科医に知らしめました。「近代外科の父・パレ」という本も書かれています。

森岡先生の凄いところは、パレの言葉ではないと言い切った点ですが、さらに、どうしてこの誤用が生まれたかを文献で検証していった点にもあります。
1年がかりだったとのことです。
「その理由が分かったから発表したんだ。ある人物が関係していた。」
謎めいたことをおっしゃいました。
私はそれが誰かをお聞きしましたが、ここには書きません。
森岡先生はすでに論文化して専門誌に投稿し、現在査読を受けられているそうです。いずれ採択されてその論文を読むことができるはず。楽しみにして待ちましょう。

この医師国家試験の問題文と厚労省の正答値表を示します(図2)。正解はc、アンブロワズ・パレとなっています。ただし、厚労省は国家試験終了後の医道審議会で5問を採点除外としました。つまり、5問が不適切問題とされたのです。その1つが前掲のパレの問題でした。理由は公表されていません。当時の全国医学部長病院長会議の解析によれば、この問題は「難問(専門医レベル)」とする意見がありました(図3)。しかし、森岡先生は、そもそも問題が間違っていると指摘したのです。森岡先生の凄さに感嘆しました。
それにしても、「誰が言ったのか」の問題が医師国家試験に出る(出た)という愚かしさに仰天です。言葉の意味を問うほうが、まだマシなはずです。

 

図1.第102回医師国家試験(2008年)F問題15.
 

 

図2.第102回医師国家試験(2008年)F問題15の正答値表(厚生労働省websiteより).
 

 

図3.全国医学部長病院長会議の2008年資料より。7大学の医師国家試験対策関係者が厚労省発表の除外問題5問に対して述べた意見の一覧。問題F15に対しては、模範的良問ではないものの良問としたのが2大学、普通としたのが3大学、不適切としたのは2大学であった。不適切とした理由は、2大学とも難問(専門医レベル)だから、であった。