看護学校卒業生への講話

先週、看護学校の卒業生に1時間半の講話をしました。主題は昨年と同じ「看護師に求められること」としました。
ただし、今年の卒業生は今までと大きく異なることがありました。それは、コロナ禍に見舞われ、臨床実習が例年の半分ないし2/3だったことです。卒業直前の1年間の実習に制限があったため、「多くの卒業生は臨床に不安を覚えている」という話が学校教員から事前にありました。
その話を聞いて直感的に感じたのは、「実習制限の影響は多分ないだろう」というものでした。それを、情緒的ではなく、どう客観的に伝えるか。それに専念して準備をしました。

講話のタイトルは「看護師に求められること〜コロナ時代の看護を考える〜」としました。コロナがあってもなくても看護は変わらない、という基本があるはずです。それを強調するために敢えて〜コロナ時代の看護を考える〜という副題を付けました。
昨年のスライドを取捨選択し、新たなスライドを加えました。
強調したのは「コロナの影響は大きかったが、医療の現場は原則さえわきまえれば、それでよい」というものです。

逆境下であっても、むしろ逆境下だからこそ、本質がみえて来るように思えます。
逆境の例をいくつも出しました。今の埼玉の病院の逆境(倒産、民事再生)を挙げ、その中で示した医療従事者のプロ意識を紹介しました。新型コロナウイルス感染症に翻弄される中小病院の取り組みにも触れました。
最後は、昨年と同じくリジー・ベラスケスさんのスピーチを取り上げました。先天性早老症のために「世界で最も醜い女」と言われ、「お願い、世界のためと思って、銃で自殺して」とSNSに書き込まれたリジーが、ポジティブに生きていく姿を見てもらいました(2020/2/20ブログ参照)。

看護学生が看護師になったとき、厳しい現実に遭遇します。実習時間が不足すればなおさらでしょう。しかし、ひるむことはない。落ち込むのは仕方ないとしてもそれで終わる必要はない。むしろ、それを糧に生きていこう。そういうメッセージを伝えたいと思いました。

実習が少なかったことが臨床の場で遅れをとらないか、という疑問に対しては、外科医になりたいのに僻地に卒後9年間勤める義務を負う若手医師の例を挙げました。
余裕の時間を勉強に使えばよい、いざ外科の臨床に立ったときその勉強は必ず役立つ、と励まし、事実、立派な外科医になりました。

医学生・看護学生・研修医に対して、最後のメッセージはいつも同じです。
「好きな道を歩みなさい。人を愛し、自然を愛でつつ」。