睡眠薬の悩み

私は、いつでも、どこでも、眠ることができます。慢性的な睡眠不足ですらあります。不眠で困ったことはありません。

睡眠薬を使ったのは70余年の人生の中で一度だけです。
20年ほど前、ヨーロッパの学会に出かけたときでした。時差があり、発表の緊張もあり、帰りは相当疲れているに違いないと思いました。出発前、睡眠薬ハルシオンを旅行用の薬ポーチに入れておきました。「寝覚めスッキリ、ハルシオン」というキャッチフレーズがあった頃です。おそらく同僚に頼んで処方してもらったのだと思います。帰りの飛行機で服用しようと決めていました。離陸とともにその1錠を飲みました。

すぐ眠れました。目覚めたのは、「まもなく成田空港に到着」のアナウンスが流れたときでした。その間、11時間ほど。隣の同僚に声をかけました。
「ああ、よく寝た。1回も起きずに成田だよ。」
すると、
「あれっ、先生はトイレに行ったし、食事も2回食べましたよ。」
「えっ!?」
そう言われれば、寝ぼけた頭の隅でトイレに立つときのかすかな記憶、食事に手をつけている自分の姿がうっすら蘇りました。
そうか。途中目を覚ましていたのだ。でも記憶がはっきりしない。
それほどハルシオンは効きました。
これが最初にして、おそらく最後の睡眠薬体験です。
もう二度と睡眠薬は飲まないと決めました。

ところが、外来や入院の患者を診ていると、不眠症の何と多いことか。
「眠れない。つらい。睡眠薬をください。」

一般的な睡眠薬はベンゾジアゼピン系です。ハルシオンも同系統です。ベンゾジアゼピン系睡眠薬の効き目は確かです。しかし依存性があるため、1年以上は投与しないよう国は指導しています。多くの患者さんは1年以上服用しています。10年以上も珍しくありません。1年を超えている患者さんには依存性のことを伝え、非ベンゾジアゼピン系睡眠薬を勧めています。納得してもらい新しい睡眠薬に変更します。ところが、次の診察のとき「新しい睡眠薬は全く効かない」とほぼ全ての人が言います。
「もう少し工夫しませんか」、「昼寝をしないようにしましょう」、「テレビを見ながらのうたた寝はやめてみませんか」、「昼間は運動をしてください」、「夜はできるだけ遅くまで起きていてそれから寝てみましょう」。
色々アドバイスをします。が、ほとんど役立ちません。
「新しい薬は効きません。前の薬に戻してください。」
相手は表情も声も必死です。
やむを得ません。
「わかりました。今までの睡眠薬を処方しましょう。」

忸怩たる思いでいるとき、大宮医師会医学講座の案内がありました。
「産業医の関わる睡眠障害」。
これだ、と思いました。
演者は、産業医であり精神科医でもある早稲田大学名誉教授・すなおクリニック院長の内田 直先生です。

講演内容を私なりにまとめてみます(聞き違い等があるかもしれません。文責は演者にはなく、筆者にあります)。
まず産業医の役割を述べられました。最近はメンタルヘルスの問題が増えているが、産業医のなかには専門外だとしてメンタルを診ないのがいる、困ったことだ、とのことでした。次に睡眠の基礎知識を話されました。睡眠はホルモンや体温などの日内変動(サーカディアンリズム)と密接な関係があるとのことです。夜になると睡眠に関係するメラトニンが増え始め、体温が下がり出します。朝が近づくとメラトニンは減り、レム睡眠が増え、ステロイドであるコルチゾールが急増します。そのため朝がたは浅い睡眠となります。この日内変動を知った上で睡眠の質を考える必要があるとのことでした。
睡眠不足症候群、睡眠時無呼吸症候群、レム睡眠行動異常、ナルコレプシー、シフトワーカの睡眠問題などについて話題提供がありました。
ベンゾジアゼピン系睡眠薬については最後に話題にされました。

 ・ベンゾジアゼピン系睡眠薬は連続投与中、血中濃度が一定の範囲で変動する状態になり、日中の業務に支障をきたす可能性がある。
 ・処方は長くても2カ月以内にとどめる。最初に「長く使えない」と伝えておく。
 ・依存が形成されている場合がほとんどである。
 ・離脱には時間がかかる。1年以上かけてでも睡眠薬から離脱できればよい。
 ・なぜ薬を変えたほうがよいかを繰り返し説明する。
 ・患者が取り組んでみようという気になればよしとする。

ベンゾジアゼピン系の離脱は専門家でも難しいと理解できました。急激な離脱は危険でもあります。
講演のあとの懇親会で旧知の精神科医と話をする機会がありました。
「ベンゾジアゼピン系睡眠薬からの離脱を先生はどうしていますか。」
単刀直入に聞いてみました。
「非ベンゾジアゼピン系を上乗せします。そのあと、引き算でベンゾジアゼピン系を長い時間かけて少しずつ減量していきます。量を減らすだけでなく、飲む間隔を少しずつ伸ばすのもいいですよ。でも、難しいですね。」

ヒントをもらったように思いました。