神様のカルテ

一昨日の夜、テレビのリモコンをいじっていると「神様のカルテ」のドラマに出会いました。
原作は夏川草介氏の同名の本です。映画にもなりました。2009年、最初の小説を私は買って読みました。書評で話題になっていたからです。読んでの印象は、医師の立場で読んでも面白い、夏目漱石に憧れるだけあっての文体だ、全体的にはライトノベルか、でした。

その後、私が当時、手術の手伝いに行っていた松本市郊外の病院に、作者の夏川草介氏が消化器内科医として勤めていると知ったとき、大喜びしました。
ある日、手術に呼ばれたので、購入した本をカバンに入れその病院を訪れました。サインをもらおうという魂胆がありました。しかし、夜遅くまでの手術になったため叶いませんでした。一緒に手術をしたその病院の外科医が「なんならサインをもらっておきますよ」と言ってくれました。が、そこまでのことではないと断りました。

今回のテレビドラマはそれなりの内容でした。医療の課題がよくまとまっていました。しかし、原作では感じなかった違和感が2つありました。どうしてもこれだけは指摘しておきたい、そう思い、ここに記します。

1つは、何度か登場する喫煙シーンです。昔の世相の再現ならいざ知らず、フェイスシールドを看護師が被るシーンもある現代のドラマです。なぜ敢えて喫煙シーンを入れるのか。しかも医療者に吸わせるのか。せっかくの信州の雪山のシーンが汚れてしまいました。原作第1巻には医療者の喫煙シーンはなかったと思います。第2巻以降に出てくるようです。医療者のストレスの吐け口としての喫煙というストーリーはあまりに安易です。ましてや幼児がいる医師が家庭問題から喫煙に走るという設定は許しがたいし、喫煙のきっかけとしてはあり得ない話です。
もう1つ。このブログでも何度か取り上げましたが(2019/8/16、2019/11/15)、インフォームドコンセント(IC:アイシー)を医師がしているという情けない言葉の使い方です。少なくとも原作の第1巻にはICの場面はなかったように思います。第2巻以降の原作にあるのか、今回のドラマでの使われ方なのかわかりませんが、ともかくICは患者側がするのであって医師がするものではありません。ICは「医師からの説明」とは全く異なる概念です。患者中心の医療の原点が崩れてしまっています。

細かいようで決して細かいことではないのです。