先週木曜日の夕方、医事課から私に連絡がありました。
ある患者さんが当院の診療に怒って電話を寄こした、明日朝8時半に行くのですぐ診て欲しい、と言っているとのことでした。
クレームはどこの病院でもありますし、私も随分たくさん対応してきました。
今の病院に来てからも何度か対応しました。医事課職員の声が不安げでしたので、気持ちよく返事をしました。
「どうぞ、いいですよ。」
翌朝、お見えになりました。
聞くと、福島県双葉町からタクシーと電車を乗り継ぎ、5時間かけて埼玉県見沼区のこの病院まで来られたとのこと。自宅は埼玉で仕事のため福島に単身赴任しているとのことです。以前、重い病気にかかり、その後の療養のために埼玉県内の病院をあちこち動き、当院で最後の処置を受けていました。その時の傷に問題がある、という主張です。私には初めての患者さんでした。
「福島の病院で傷を見せたら、問題ないと言われた。だけどどうみてもおかしい。とんでもない治療をしてくれたものだ。」
えらいご立腹です。
その傷をみると一見何でもなさそうです。が、よく見ると、確かに変なところがあります。慎重に観察しました。
本人の訴えに間違いはありません。これが原因です。
「見逃していました。申し訳ありません。すぐ処置します。」
局所麻酔を必要としましたが、幸い短時間で完了しました。
「もう大丈夫です。」
そのあと、あらためてお詫びしました。
「患者さんの声に我々医療者は耳を傾けなければいけませんね。」
そう付け加えました。
雰囲気が穏やかになってきました。
「お仕事は何でしょうか。」さりげなくお聞きしました。
「原発の廃炉。」
「えっ。」年齢は60歳をとっくに過ぎています。
「定年はないのですか。」
「ない。」
華奢な体だし病後です。力仕事ではなさそうです。
「お仕事の内容はどんなのでしょうか。」
「廃炉ロボットの設計。」
だんだん見えてきました。

そういえば、前日(7月25日)の新聞に「福島第二原発の廃炉 東電が正式決定」という記事が載っていました。
「事故を起こした方の福島第一は本当に廃炉ができるのですか。」
ずばり聞いてみました。
凄い答が返ってきました。
しかし、その返事と、その後の問答については、お伝えするのが憚れます。
一人の技術者の言葉がどこまで本当なのか、確かめようがないからです。
それでも、「現場の者は線量目一杯で働いている。酷いものだ。」という言葉は本当だと思いました。

8年前のあのとき、私は茨城の県立病院の院長をしていました。地震で病院の壁が崩れ、建物崩壊もあり得ると判断し、約350名の入院患者全員を一時、屋外退避させました。夜になってから、新築まもない救急センターの建物に全入院患者を集約しました。廊下も使いました。深夜、病院災害対策本部会議が開かれる中、テレビでは津波の映像が繰り返し流れていました。息を飲みつつも、自分の病院での対応に没頭せざるを得ませんでした。
翌日午後、福島第一原発1号機爆発。その翌々日朝、2号機爆発。茨城まで放射性プルームが飛んできて屋外線量が上がりました。その最中、支援の要請が福島から届きました。自分の病院の診療再開に四苦八苦する中、放射線汚染への不安が増す中での隣県支援。それでも3月18日、病院のDMAT(災害派遣医療チーム)を送り出しました。DMATは不眠不休で福島との間を3往復、計750km運転して、いわき市の患者10数名を病院に運んでくれました。

8年の年月が一瞬で流れ、患者さんに最後に言いました。
「いわき市のすぐ南に北茨城市があります。そこの市民病院の外科に素晴らしい先生がいます。もし、傷が変だと思ったとき、常磐線に乗ればここよりも直ぐに行けます。遠慮なく電話ください。紹介しますよ。」
ご納得されて帰って行かれました。