大阪の日本外科学会に参加しています。新しい知識を得て患者さんの診療に繋げたいとの思いからです。

最近、外科を志す若い先生が減ったと言われています。今回の学会でもこのことが話題になっています。
「若い人は厳しい外科を避け『易(やす)き』に流れる」と嘆く向きもあります。

私は違うと思います。時代はずいぶん変わりました。が、若い人が『易き』に流れるとは少しも思いません。
外科に限らず、どの診療科でも同じだろうと思います。医師に限った話でもありません。医療を志す人たちが『易き』に流れているとは思えません。
さいたま記念病院の現場を見ても分かります。皆、一生懸命尽くしています。

外科医が減ったと嘆く大学の外科の教授たちは外科の魅力をどれほど発信しているのでしょうか。
私が調べた某大学では、医学生で外科の教科書を持っている者はほとんどいないという驚くべき事実があります。
講義は臓器別になり、多くの大学では、例えば消化器の講義では消化器内科と消化器外科が担当して終わり、
というスタイルにいつの頃からかなってしまいました。外科学講義というものがないのです。
私が以前勤めていた大学では、外科の歴史、手術学、外科侵襲学、外科感染症学、創傷治癒学、移植免疫学など
外科の基礎となる分野の講義を必修カリキュラムに入れていました。もちろん外科の教科書は必携です。

解剖はどこの大学でも医学部入学まもなく行いますが、私の提案でその大学では、一通りの臨床を勉強したあとの4〜5年生でもう一度解剖を行いました。このときは外科系診療科による臨床解剖です。
ご遺体の尊厳を損なわないように注意を払いながら、例えば脳の解剖では、脳神経外科医が解剖室にマイクロスコープを運び入れて脳下垂体切除、脳血管吻合などを学生に見せ、行わせるのです。心臓外科、呼吸器外科、泌尿器科、婦人科、整形外科も参加しました。
いずれも各診療科の代表的な手術を見せ、やらせるのです。消化器外科では肝切除、膵頭十二指腸切除などを行わせました。

消化器外科に興味を持った学生には、ブタを使った実験で胃切除、腸切除を試させました。
学生は術後、毎晩様子を見に動物舎を訪れ、食事摂取が進まないと心配し、1週間後に心臓停止薬の塩化カリウムを打つときは涙を流していました。学生たちは、心停止を確認してから開腹し、手術結果を観察したあと、丁寧にブタのお腹を閉じ、静かに、深く、長く、黙祷を捧げました。

こうした外科教育をしないで、外科医が減った、若い人は『易き』に流れる、と嘆く人たちを私は理解できません。