落ちたから何だ、若人よ

パソコンの書類を整理していると、以前勤めた大学の受験生に向けた原稿が出てきました。20年前のものです。受験当日に配布するとして、大学事務部から依頼されたものです。
「医学部受験生を励ます一文を寄稿してください」。
依頼状の中に前年までの既報が添えられていました。読んでみるとやや「誇大広告」のように思えました。高い倍率を競って合格を目指す医学部受験生へのメッセージです。どっちみち大多数は不合格になるのです。そのことを思って書いてみました。
メールアドレスを記載したのに反応が全くなかったこと、配布された実物が手元に残っていないこと、を考え合わせると、この原稿はどうもボツになったようです。「狐もいれば狸もいる」がまずかったのかもしれません。

あらためて原稿を読むと当時の心意気が蘇り、今に思いが馳せました。医師に向いている人は、ほかの分野にもいる。一緒に働いているこの病院のあの人こそ医師になってもらいたい。その思いを込めて、ボツ原稿をブログに残そうと思いました。

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「落ちたから何だ、若人よ」

本学医学部を目指す君たちよ。受験してくれただけでも嬉しい、とひとまず言っておこう。が、なぜ受験したんだ?
この大学の建学精神が世界に類まれなことは事実だ。僻地医療への挺身。外国の客人にそう説明すると眼を光らせて感嘆する。英語版には建学の精神が世界中で理解されるようになっている。思わぬ賞賛のメールが私宛に届くこともある。
だから君の心意気には嬉しいんだ。だが、現実はそう甘くないよ。社会は甘くないよ。若い君でも少しはわかるだろう。桃源郷だというこの大学にだって狐もいれば狸もいる。でも、他の医学部はどうだと言うのかい?もっとよいと言うのかい?
この大学の学生、卒業生と付き合って何年にもなる。確かに他大学とは違う。辺鄙な診療所に卒業生を訪ねると、よくぞここで働いてくれる、栄誉も糞もない、医師の鑑だ、病める人の救世主、神だ、と心底思う。悶々とする日々もあるという。それでも大学の原点で働いているという。こんな人が二人や三人ではない。他とは少し違う。私だってこの大学に赴任のときは胸がときめいたものだ。四十過ぎの男がだよ。医療の理想、医学教育の原点があると。青臭かった。事実半分、はずれ半分。
よく考えれば、他大学関係でもこれくらいの聖人は一杯いるよ。他大学の学生、卒業生を舐めるなよ。大学を出ていなくても皆、良心のもと人間らしく生きているのだよ。個々の人間に、出身や傾向でものを言ってもらっては困る。
外科医として暮していると様々な人との出会いがある。診療を通してばかりではない。手術器械を扱う会社の人との付き合いも多い。
「先生・・・」。
某私大工学部を出た営業マンが真顔で見つめてきた。三十歳を少し越えている。
「ここの医学部に学士入学はないのですか」。
手術の立ち合いに入って見ていくうちに、自分の生涯の職業は医師ではないかと真剣に考えるようになったという。国が学士入学によるメディカル・スクール構想を検討しているという新聞記事に触発されたようだ。
「ないな。それに三十過ぎは受験すら無理だよ。」
「でも、他の医大は入試さえ通れば、たとえ四十歳を過ぎても医者になれるのでしょ?」
「そりゃそうだ。」
沈黙が続いた。医療の現場を本当に知って、真になりたい意志を明確に持っているこういう人こそ、私は医者になって欲しいと痛切に感じた。
若い君たちよ。落ちても泣くな。泣いている人はもっと他にいる。君たちは可能性がまだ残されている。可能性を閉ざされて泣いている人は、世の中には沢山いる。その人達のことを思えば、君が泣くことはない。
それに、医者がすべてだと自惚れるなよ。医学以外の道がなぜ悪いのだ?落ちたら、もう一度これからの人生を考えてみるのも悪くない。泣くな、君。(nagaiXXX@XXXXX)。