認知症の「治療」薬

午前0時を回りそろそろ休もうとしていると、PCのメールに速報が入りました。日本経済新聞電子版でした(図1)。
「速報 エーザイの認知症薬、米で承認取得 世界初の進行抑制型」。

内容はこうでした。
「日本のエーザイと米バイオジェンが共同開発したアデュカヌマブを米食品医薬品局(FDA)が承認した。この薬は従来の認知症薬と異なり、アルツハイマー病の原因物質とされるアミロイドベータを除去する効果があるとされ、認知機能の低下を長期的に抑制することが期待できる。エーザイは中国・韓国を除くアジアでの販売を担い、対象地域の収入の全てと利益の8割を獲得する。米国と欧州ではバイオジェンが販売を担った利益について、それぞれ45%、31.5%がエーザイに入る。英調査会社エバリュエートは2026年には年間売上高が48億ドル(約5200億円)に達すると試算する。「ピーク時売上高は1兆円を超える可能性がある」(国内アナリスト)との指摘もあり、大きな収益貢献を見込んでいる」。

真夜中にこのニュースを知った投資家が翌朝の株式市場に殺到することは容易に想像できました。事実、エーザイの株価はその通りになりました(図2)。振り返ってみると前週の後半(6/2-6/4)から値が段階的に少しずつ上がってきていました。情報をもっと早く入手した投資家が少数いたということでしょうか。一攫千金を狙って暴騰直前に買っておいたということでしょうか。ひょっとして炭酸か。

昔から医療の新しい情報は我々医師よりもはるかに早く投資家が入手してきました。証券会社に勤める友人が多くの新規治療法・治療薬を知っているのに驚いたことがあります。
ただし今回のアデュカヌマブは昨年の後半には私の耳にも入っていました。国内承認の申請を準備しているというニュースを読んだからです。
もうひとつ別の情報を得ていました。2021/5/10の本ブログ「認知症専門医がアルツハイマー病になったとき(2)」でギブス医師の体験を紹介しました。その中で、ギブス医師はアルツハイマー病のモノクローナル抗体による治験で高血圧性脳症・脳内出血を発症し、集中治療を受けたことをお伝えしました。そのモノクローナル抗体がアデュカヌマブだったのです。

この薬は副作用のほかに根本的な問題がいくつかあります。
抗体を注射している限りアミロイドの蓄積は抑制されるかもしれません。しかし注射を中止するとアミロイドはまた蓄積してくると予想されます。注射を生涯打たなければならないのか。毎月1回、1人あたり年間600万円強かかるという話があります。日本全体で、世界全体でどれほどの医療費がかかるのでしょうか。保険適応になるでしょうか。それとも富裕層だけのことになるのでしょうか。

また、この薬は、完全に出来上がったアルツハイマー病には効果がなく、あくまでも発症初期の認知症を長期にわたって進行抑制するもののようです。となると、早期発見が重要になります。アルツハイマー病の初期は臨床的には軽度認知障害(MCI:mild cognitive impairment)と呼ばれ、「もの忘れ」の段階と言ってよいと思います。しかし「もの忘れ」で高額な抗体治療を始めるととんでもない数になってしまいます。アデュカヌマブの作用機序から考えれば、MCIのうちアミロイドの沈着が脳内に証明された例が対象になるように思えます。となると、アミロイドPETが判定に必要です(2021/5/10ブログ参照)。この検査は20-30万円かかると言われます。「もの忘れ」が始まった人すべてにこの検査をするとなると、検査代だけでも莫大なお金が毎年かかってしまいます。となると、検査も治療も自費になるかもしれません。お金がないと検査ができず、薬も使えない、ということかもしれません。
認知症の介護・看護のあの負担がなくなることを思えば安いものだ、という議論になればよいのですが・・・。

さらに大きな問題があります。アミロイドの抑制は証明されても本当に認知症の抑制に効果があるのか、実はまだ決着がついていないのです。FDAは「市販後調査で効能が証明されなければ承認を取り消す」という条件をつけているそうです。

画期的な薬であることは間違いありません。しかし乗り越えるべき課題は多いと言えます。
この抗体治療はワクチン研究の副産物です。抗体が有効だとなれば、今後は安全・有効なワクチンの開発を必死に目指すべきではないでしょうか。ワクチンであれば貧富の問題や治療期間の課題が解決されるのではないかと思うからです。
多分、こう反論されるでしょう。
「研究者も製薬企業もとっくにこのことに気づいていて莫大なお金をかけてきた。しかしワクチンはことごとく失敗した。唯一出てきたのがこの抗体治療なのだ」と。
それでも諦めないでほしい。私の願いです。