院長交代

私は3月末で院長を辞め、4月から石川進副院長が後を継ぎます。
石川副院長は自治医科大学5期生(群馬県)です。僻地勤務の義務年限を終えると心臓血管外科医になり、大学および都立病院等で活躍してきました。オーストラリア・メルボルン大学心臓外科への留学経験もあります。当院には昨年12月に赴任し、現在、循環器を中心とした内科全般の診療に関わっています。

石川副院長との出会いは25年以上前に遡ります。私の弟が群馬大学の循環器内科教授を務めていた関係で母がそこでペースメーカー植込み術を受けました。その際、心嚢腔に出血が生じ、心タンポナーデとなってしまいました。緊急手術が必要となりました。心臓外科の教授が学会出張中のため当時助手だった石川先生が執刀しました。お陰で母は無事退院することができました。
まちがいなく知・技・情の3拍子が揃っています。石川新院長をよろしくお願い申し上げます。

私は引き続きこの病院に常勤として残ります。管理職は下り、診療統括部長となります。要するに何でも診る立場です。球拾い、ゴミ拾いに徹するつもりです。念願の一兵卒になります。

511回重ねたこのブログも閉じます。4年間お付き合いいただきありがとうございました。
そもそも院長になるつもりは全くありませんでした。研修医をやり直そうと思っていました。赴任の3日前、2019/3/29(金)の夕方、挨拶に訪れたとき、当時の西永院長代行から院長を突然要請されました。病院の混乱を聞き、やむを得ず受けました。
当時の経営陣のひどさに驚き、直ぐ動きました。それを記録しようと思って始めたのが院長ブログでした。
真っ先に地元出身の国会議員を訪ねたのも、昔の仲間と話し合ったのも、埼玉県庁に相談に行ったのも、某ファンドグループに接触したのも、病院の崩落を何とか止めようとするためでした。ブログでは懐かしい思い出ばかりを綴りましたが、裏の狙いはそういうことだったのです。
残念ながら奮闘空しく赴任3週間後に病院は民事再生となりました。倒産です。公立・公的病院の勤務が長かった自分に倒産は貴重な経験でした。貴重であっても本来起きてよいことではありません。既に書きましたように、令和という新時代にこのようなことが起こる日本の医療の脆弱性を思わずにいられませんでした。思い出すと今も怒りで震えます。
幸い、若葉会の財政支援で危機を乗り切ってきました。感謝しても感謝しきれません。その後は職員の素晴らしさに目が向くようになりました。倒産を経ても残ってくれるひた向きさに感動しました。もちろん去った人たちにも理解を示しました。生きる自由は誰にでもあります。一方、患者・家族のひた向きさにも感動を覚えました。私自身がひとりの人間として考える機会をいただきました。
医療の最新情報を学ぶ努力もしてきました。一般の人にも新しい医療を発信したいと思いました。これからの医療は医療者だけでなく医療を受ける人たちも一緒になって行うべきだと考えてきたからです。

赴任して1年経つころ新型コロナの世界流行となりました。ブログのテーマの多くがこれに割かれました。今を生きるため私も必死に勉強しました。振り返るとおかしなことを書いてしまったところもあります。が、削除はしませんでした。時代の流れをありのまま記しておこうと考えました。
ブログは遺言のつもりでもありました。せっかく半世紀ものあいだ医師をさせてもらいました。言っておきたいことは生きているうちに言おうと決めました。祖父母・両親のこと、恩師のこと、ふるさとのことも記録しておこうと思いました。

ブログについて見知らぬ方からお電話やお手紙をいただくことがありました。新聞社やテレビ局の取材もありました。誠意をもって対応しました。
本として出版しないかとのお誘いも受けました。これはお断りしました。気軽に書いたものです。活字にするほどのものではありません。そもそもこのブログは病院の・・・。そういうことなのです。

新たな書き込みはしません。過去分は同じURLで残して欲しいというご意見をいただいています。病院ホームページの目立たないところにそっと貼っておこうと思います。
石川新院長の邪魔にならないようひっそり生きて参ります。
皆様のご多幸を末永く願っています。お元気で。(了)