私よりも上の世代には言わずと知れた石坂洋次郎の小説です。1947年(昭和22年)6月から朝日新聞に連載されました。
私の生まれる10ヶ月前の連載開始です。思い出は小説にはありません。映画の主題歌にあります。
「若くあかるい歌声に 雪崩は消える 花も咲く・・・」。
大学生の頃、新宿の歌声喫茶で皆が歌い、自分も歌っていました。私の数少ないレパートリーの1つです。今カラオケで歌うと家内も娘もウンザリした顔を見せます。「それしか知らないの?」。
実は、私にはこの映画の懐かしい思い出があるのです。遠い昔、「青い山脈」を父親と見に行った記憶があります。記憶はかなり薄れているのですが、私が小学校低学年、8歳ごろではなかったかと思います。父親48歳のころです。
あんなメロメロの映画を見に(あるいは見せに)なぜ堅物の父が幼い息子を連れて映画館に行ったのか。ときどき思い出しては不思議に思っていました。
「案外、ロマンチックなところがあるのかも」。その程度のことしか思いませんでした。

昨日の朝日新聞「時代の栞」に「『青い山脈』1947年刊 石坂洋次郎 ベストセラーの映画化」が取り上げられていました。大学生の頃に小説は読んだことがありますが、あまりにメロドラマすぎて作品として評価はできませんでした。しかし、今回の記事を読んで思ったのは、戦争と終戦がもたらしたあの時代の新しい空気です。そうであれば、当時爆発的な人気を博した理由もわかるような気がします。

記事の横に俳優宝田明の解説がありました。宝田が女学生と女性教師の2人を支える医師役を演じたとあります。「青い山脈」二度目の映画化でのことでした。1957年(昭和32年)制作ですから、私が9歳、父が49歳のときです。記憶に合っています。決定的だったのは、ロケ地です。ロケは岐阜県恵那市と中津川市で行われたと宝田は書いていました。中津川市の苗木(なえぎ)は父の生まれ故郷です。父は苗木小学校を卒業後、恵那中学に通いました。映画に出てくる「青い山脈」は毎日見ていた恵那山だったのです。遠く離れた埼玉で自分の故郷を幼い息子に見せるために私を映画館に連れて行ったのではないか。これにようやく気づきました。
父は102歳を目前にして亡くなり、早9年が経ちます。60年以上も前の記憶がようやく整理できました。メロドラマはやはり父にはふさわしくなかったのだ。半分ホッとし、半分残念に思いました。

※朝日新聞 2019/9/11

※苗木城から木曽川、中津川市街、恵那山を望む(2015/6/25筆者撮影)