年末年始の休みを利用して読んだのは、脳天を叩かれて買った「アメリカのニーチェ」(ジェニファー・ラトナー=ローゼンハーゲン著、岸 正樹訳、法政大学出版局)です(2019年11月25日のブログ参照「書評」)。
アマゾンから届いた日に読み始めたものの、相当の難物であることはすぐ分かりました。翻訳の匂いがきつく、読みやすいとはお世辞にも言えませんでした。原著を読んだほうがよいかも。余計なことを考え、Kindle版を翻訳本の1/3の価格2千円ほどでダウンロードしました。残念ながら原著も難解でした。それでも、翻訳で分からなかった箇所が原著で解読できたり、原著で分からなかった部分が翻訳で納得したりしました。とは言え、てこずりました。楽に読める本ではありません。プロローグとエピローグに目を通し、おおよその輪郭を理解したところで、分厚い翻訳本も、PC・スマホのKindle版も、日常診療の洪水の中に沈んでしまいました。

年末に再挑戦したところ、翻訳本が意外と読みやすいのに気づきました。今度は一気に読めました。要するに、睡眠時間がまともになって頭がスッキリしたからだろうと思います。一方、霞んだ頭で臨床をしていたのかと思うとゾッとします。

本書の論点は一定しています。プロローグから引用します。
 

  • 「1910年代には誇張なしにアメリカでの「ニーチェ大流行」も指摘できる。(中略)(ニーチェをアメリカに)紹介(した)者が当惑したのは、ニーチェの貴族主義的ラディカリズムと、ニーチェ思想の故郷たる国(筆者註:ニーチェはアメリカのエマソンに強い影響を受けた、したがって故郷たる国とはアメリカのことを言う)の民主主義的文化との間の、とてつもない齟齬である。」
  • 「アメリカの読者がニーチェの哲学のどこに惹かれたのか、そしてニーチェの哲学から何を引き出したのかを、本書は考察する。」
  • 「ニーチェの反基礎づけ主義(普遍的心理の否定)が、その徹底したキリスト教道徳批判、啓蒙主義的批判、民主主義批判によって、いかに多くのアメリカ人に自分の宗教的理念への疑い、道徳的確信への疑い、民主性原理への疑いを引き起こしたか。」
  • 「本書は、ニーチェの聖人伝の研究でもなければ、ニーチェ弾劾の論文集でもない。現代アメリカ思想がダイナミックに、限りなく作り直されてゆく中での、ニーチェの重要な役割を述べた物語である。」

ニーチェは44歳の1889年1月、突如意識を失ったのち、せん妄状態に陥り、精神の崩壊とともに読み書きができなくなります。記憶も失い、1900年に死去しました。ニーチェの遺した著作が人々に大きな影響を与えるようになったのは、発狂後だと言われています。
魅了された初期の読者は、ドイツ、ヨーロッパ、のちアメリカのアナーキスト、マルクス主義者、フェミニストだったとのこと。本来、ニーチェの思想は哲学のはずです。ニーチェによれば「偉大な思想は運動に属するものでも、ましてや時代に属するものでもない。孤独な天才に特有のもの」だからです。しかし、思想・哲学の枠を超えてアメリカの社会、文化、宗教の中に浸透していき、政治思想にも取り込まれていきました。左翼的アナーキズムに利用され、右翼的貴族主義にも利用されました。アメリカでは「狂った無神論者の冒涜的言動」とされた一方、一種の「エキゾチシズム」として受け入れられ、「価値観そのものの真剣な再評価」として賞賛もされました。
本来「反キリスト者」であるニーチェの思想が、20世紀になるとキリスト教各派(カトリック、プロテスタント、メソジスト派、社会的福音派など)によって利用されるようになりました。「『奴隷道徳と主人道徳』や『ルサンチマン』などの新しい概念で説教しながら『禁欲主義』などの古い概念に新しい生命を吹き込」む聖職者もいたとのことです。

ニーチェ哲学の「超人 Übermensch」は、真理を追求し、因襲よりも意識を上位に置く概念です。この「Übermensch」は英語への翻訳に難渋した語だとされます。日本語訳「超人」にまず異論はありません。しかし英語では、superhuman、beyondman、overman、supermanなどが提唱され、やがてsupermanスーパーマンが優勢になりました。これがのちに、脱構築主義への痛烈な批判(後述)の中でニーチェは、Ⓢのシンボル・マントを背負うスーパーマンとなって空を飛ぶマンガで皮肉られることになります。ドイツ語のMenschは女性を含む人間を意味する言葉とされますが、英語のsupermanは男性のみを指すことになるという議論もあったようです。この論争では、女性差別を批判するためにニーチェの「超人」が利用されたこともありました。ところが、第一次大戦中、アメリカの哲学者やジャーナリストは、ビスマルク的帝国主義政策に見られるドイツを「超人」になぞらえたとのことです。第二次世界大戦になるとナチスによるニーチェ利用もあり、ニーチェはアメリカで完全に否定されます。
ところが第二次世界大戦後、ニーチェはアメリカで復活します。冷戦期の集団的イデオロギーや戦争への贖罪を解き放つ思想家として再評価されるようになったのです。その後、ニーチェ思想・哲学は、アメリカではプラグマティズム、ハーレム急進主義、公民権運動、ベトナム反戦・学生運動、ブラック・パンサー党などに影響を及ぼしていきました。さらにポストモダンの新たなニーチェ読解がフランスから入り(脱構築主義)、1980-90年代にはそれへの痛烈な反論が起こり、さらに新しいアメリカ的思考について現在も模索が続いていることが示されます。
この最後のポストモダンの流れは混沌としているようにみえます。今のトランプ大統領とその支持者に繋がる流れかもしれないと思い、さらに書き込まれることをローゼンハーゲン女史に期待して本を閉じました。

前回の宿題。「アメリカのニーチェ」の書評(森本あんり氏)の最後になぜ「教育」が出てきたのか。ニーチェがアメリカのエマソンから常に教えられたこと、ニーチェの思想が既成の概念を打破するようにと教えた反基礎づけ主義だったこと、次世代に向けてのニーチェのメッセージが「憧憬の矢を放つ」(to shoot arrows of longing、den Pfeil der Sehnsucht werfen)という教えであったこと、共通の教えは「因襲に囚われず自己の力で真理を追求する」であること、それは「教える」ではなく「挑発する」であること、それが「教育」であること、と私なりに理解しました。「教育はかくあるべし」という著者と評者の思いを感じました。訳者あとがきの「ニーチェ解釈の創造的発展」を読むと訳者もまた同じ思いのようです。さらに言えば、この「教育」の実践の場がアメリカにはある、一方、日本では・・・ということなのかもしれません。

エピローグの最後に「知の領域で遅れてきた者の退屈顔のルサンチマンを超えて、憧憬の矢を放つように、と(若き魂に)挑発する」という訳文が出てきます。意味不明の部分があります。Kindle版では ”It would provoke young souls to shoot arrows of longing over the yawning ressentiment of intellectual belatedness”となっています。”Belatedness”はドイツ語のVerspätungあるいはNachträglichkeitを表す用語のようです。エマソンも盛んに使い、American Nietzscheにも度々出てくる用語です。訳文の「遅れてきた者」という意味合いでよいように思います。”Yawning”を「退屈顔」としているのは誤訳だと思います。「大きな」という比喩的な意味のほうではないでしょうか。なぜなら次に出てくる憧憬の矢が乗り越えるべきもう1つの困難を「反基礎づけ主義という深淵」(abyss of antifoundationalism)と表しているからです。”Yawning abyss”という慣用句があります。「大きく口を開けている深い穴」という意味です。「(あくびをしている)退屈顔の深淵」ではありません。